親だけど、いち人間。
今日は長女(高2)が
福岡から大阪へ
1人で遊びに行きました。
いつもより早起きして
楽しそうにメイクしながら
いそいそと準備をして
明るい声と
ちょっと照れくさそうな表情をしながら
家を出ていきました。
そして
約束通り
21時に帰宅。
途中のLINEのやりとりからも
楽しかった様子がうかがえました。
思春期反抗期真っ只中の
子どもらしい
素直で可愛い一面を垣間見せ
親心をくすぐられました。
長女がどんどん行動範囲が広がり
いろんな経験を積んでいく嬉しさと
親の知らない世界へ突き進んでいく寂しさと
いろんな感情が入り混じります。
そして
学生時代の私にできなかったことを
次々とこなしていく長女に
誇らしさすら感じています。
しかしそれと同時に
それができなかった自分の惨めさと
それができてしまう長女に対して
嫉妬や劣等感を
感じました。
私は学生時代
いろんなことを
諦めてました。
しかも
人のせいにして。
友達と遊びたいけど
親から怒られそうだから言えない
お小遣い制度がなかったから
バイトがしたいけど
親から怒られそうだから言えない
塾に行きたいけど
◯◯が欲しいけど
◯◯がしたいけど
いろんなことを
親の厳しさのせいにして
あきらめてました。
自分に立ちはだかる壁を
乗り越える努力もせずに
親のせいにしていたんです。
最低だなって思います。
責任転嫁ってやつですね。
そのことに気づいたのは
つい最近のことで
それまで
私はずっと「被害者」で生きてました。
その反骨精神からか
自分の子どもたちには
自分のやりたいことや
言いたいことを
言えるような親でありたいと
心がけて子育てをしていました。
長女は
お小遣いが欲しい時も
バイトがしたい時も
友達に会いに大阪へいきたい時も
ちゃんと
私に話してくれました。
嬉しかったです。
子育てに成功も失敗もないけれど
子どもがこうやって
私ができなかったことや
新しい挑戦をしていく姿に
これでよかったんだって
あの反骨精神も無駄じゃなかったって
思います。
また
私が長女に
嫉妬したり
劣等感を感じたりするように
子どもを通して
自分の
いろんなことに気付かされます。
親だけど
いち人間なんですよね。
私のこの
嫉妬や劣等感は
何かを乗り越える
ヒントを与えてくれているのでしょう。
それが何かなのか
まだわからないけれど
ちょっと楽しみ。
本当はどうしたいの?
って自問自答してみようと思います。