トンネルを抜ける / Day 19 まだ降りないよ
ここ数年毎年この時期は、NYとロンドンに出張に行っていた。ほぼ1ヶ月。今年はもちろんだけどそれはない。そんな時期に思い出す人がいる。ロンドンの出張の時に必ずお世話になっていた、マキコさん。物凄い知性の塊なのに、それを素直に褒めると「やめろよ、照れ臭い」と一刀両断し、「マキコ先輩」と心底お慕いすると「なんだよ、こそばゆい」と切り返す。50歳を超えてなお、自身の仕事に誇りを持ち、湧き上がる好奇心を素直に文章に表現できる人だった。
彼女の文章を若い頃からある雑誌で読んでいて、いつか会いたいと思っていた。いつしか歳月が経ち、私は今の仕事に就くことで念願かない、ロンドンに行く度に彼女に会えるようになった。一緒に行った取材先、一緒に乗ったタクシー、仕事の合間の楽しいカフェ休憩。全てが、カラフルな記憶として私の脳裏に焼き付いている。ロンドンに行けば、また何か教えてもらえる、それが何よりの楽しみだった。
今年はまたもロンドンはコロナでお預け。わくさんのいなくなった空間で仕事をする日々だ。別れた当初は、大袈裟かもしれないけれど「人生降りてもいいくらい」の衝撃で、自分が壊れる音をこの耳で聞いた気がするほど。そんな中でも本気で人生を降りようと言う行為に出なかったのは(本当にそのレベルで一時はしんどかった)、マキコさんがいたから。
大好きなマキコさんは数年前、自分が愛したロンドンという街で、自らの命を絶った。彼女のぶっきらぼうな口調の裏に、私は危うい薄氷のような繊細さを見ていた。だから、ロンドンに行った際に彼女の周りの人々が「最近彼女と全く連絡を取れない」と言うのを口にした際に、直感で「彼女がこの世界に別れを告げた」とすぐにわかった。その予感は的中した。「執筆活動ができないで、ロンドンでスーパーのパートのおばちゃんになるくらいなら死んだ方がマシ」「タバコが吸えないくらいなら死んだ方がマシ」とか、そんなことを口にしていたけれど、それが理由じゃない。危うい薄氷のような繊細さは、ロンドンで一人生きていくことの足かせになっていたのかもしれない。マキコさんと気が合う自分としては彼女の気持ちを汲み取るのは容易い。一方で彼女が体を張って私に何かを教えてくれたとも思ってる。今は一人で生きているけれど、それはあくまで物理的なこと。「今」を生きるしかないのだ。マキコさん、まだ人生降りないよ、私は。