専業主婦と時短パート主婦とフルタイム主婦と正社員主婦。
専業主婦っていつからこんなに
肩身が狭くなったんだろうか。
昭和や平成のはじめあたりは
お母さんが家にいて子供を迎えるのが
当たり前のことだったし
学童なんてものはなかったし
働いているお母さんの方が
私の周りには圧倒的に少なかった。
(地域などによって違うかもしれないけど)
働いていて鍵を持たされ
家に一人帰って行く、
鍵っ子と呼ばれる子供たち。
あらあら…お母さんがお仕事でいないなんて
可哀想にねえ…というような
大人からの眼差しがそこにはあった。
いつしか専業主婦の割合が
かなり減っているようで
むしろ働いていない方が少ない。
そして専業主婦が当たり前の時代にはなかったであろう、
働いている主婦からのマウント。
そして社会からの風当たりの強さ。
私も結婚をしてしばらく続けた仕事を
時間帯が主人と合わないために退職。
(遅番があったから)
パートでもしてのんびり暮らしていくつもりだった。
しかし長女を妊娠し、
体質的に流産しやすいようで
切迫早産で動くことができなくなった。
働くなんてことは
その後何年も私の中で
重要なことではなくなった。
子供を二人出産して、
幼稚園に行かせて、
なんの疑問も持たずに専業主婦。
長女小1、という節目を迎えて
はたと立ち止まる。
私このままでいいのか?
私の中で専業主婦であることへの負い目、
社会からの孤立感、
何も生み出さない非生産性…
自分の価値がわからなくなった。
突然そんな気持ちに
押し潰されてしまった。
子供をうめ、育てろ、働け。
それができない奴は
価値のない人間と烙印を押されそうな
社会の雰囲気が気に食わないはずなのに
しっかりその雰囲気に飲み込まれて
焦り、もがいて、苦しんだ。
社会復帰を果たしたが、
所詮はパート。
夫の収入で暮らしている身分。
家事も育児も行事の割合は
全く変わらないまま
学童に預けず働く。
どんだけその生活が
疲れるものであろうと
私は一人では暮らせない。
何も考えてなかったな。
もっと自分のために
しっかり考えたらよかった。
手に職ほしかった。
結婚して家族になりたい、
彼の手の中で大切にされていたい、
どこにも行けないように(社会の)
しっかり繋いでいてほしいと
恋にも愛にもそんな自分にも酔っていた。
妻でもない母でもない居場所がほしいとか
社会的に必要とされたいとか
金銭的に自立したいとか
思うようになるから時間ってこわい。
正社員やフルタイムの人からしたら
家にいて何してんの?
暇じゃない?と
専業主婦は見下される対象になって
実際胸を張って専業主婦です。の人って
少ないからますます働いてるお母さんが
家庭からも社会からも必要とされる
キラキラ輝く存在感になっていく。
働かなくても暮らせますのでおほほ。
というお金持ちの余裕より、
社会にも必要とされている事実の方が強い。
そう感じる。
正社員でもない、専業主婦でもない、
中間にある私はどちらもわかる。
でも専業主婦を見下すことはない。
自分も9年くらい専業主婦だった。
(在宅で仕事はしていたけど)
そして正社員のお母さんが
専業主婦やパートにマウントをとる、というのは
その人がイヤイヤ働いているからなのかなと思う。
働きたくて働いている人は
マウントなんてまず取らない。
こんな思いをして毎日大忙しで働いている、
そんな風に思っていたらそうではない相手に対して
自分の方が優れている、と言いたくもなるのかも。
なんにしても
働くも働かないも
人のことを気にしなくて
いいのでは…と思うけど
人間は比べてしまう生き物らしい。
働きまくることが偉いとされることも
自身の都合や家族のために
働かない選択をした人が見下されることも
なくなれば良いなあと思う。
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