【短編集】月曜日はウォーキング・デッド -音楽にまつわる創作ショートストーリー (1)
episode1.Funny Bunny
Monday
朝日が、眩しい。
正確には、川面に反射する朝の光が眩しい。
目を開けていることがつらい。そして眠い。
長身やせ型の背中を丸め、つり革に全力で寄りかかる。
路面電車の座席に並ぶ人々の、俯いた無防備な頭頂部を朝の光が照らしている。
田中はそれをぼんやりと、見るともなく眺めていた。
郊外からビジネス街へと走る電車の中は、勤め人と学生でひしめき合っていて、地方都市とはいえ中々の混み具合だ。
車窓から見えるのは、澄み渡った秋空と切れぎれに現れる川沿いの景色。それはやがて背の高いビル街と変わっていく。
週の始まりの気だるさが、さして重くないはずの体重と瞼と鞄の重力を倍増させる。正直なところ、今の仕事に嫌気がさしている。行きたくない。苦手な上司、嫌味な同僚、小生意気な後輩との一週間がまた始まるのだ。
好きな曲でも流して無理やりにでもテンションを上げなければ耐えらえそうにない。
ポケットからスマートフォンを取り出し、プレイリストを漁る。
今日は、これかな。
the pillows をタップし、イヤホンのスイッチに手を伸ばそうとして、すぐそばに視線を感じた。
誰かが無遠慮にこちらを凝視しているようだ。
「まるでゾンビみたいな田中くん?」
それは微かな呟きだったが、名を呼ばれて、田中ははっとした。
声の主は、少女だ。高校の制服を着ている女の子がこちらを見上げている。
え、俺?
ええっと…誰…だ?この子…
田中が瞬きを繰り返している間に、彼女は逃げるように次の駅で電車を降りた。
「呆然」を絵にかいたような、彼を残して。
…今の、誰だっけ…あの大きな瞳、見覚えがあるぞ。それに、「ゾンビ」って言われたことも…あるような
頭の中をクエスチョンマークと幽かな記憶の断片が駆け巡る。
そのせいで自分の降りる駅をうっかり逃しそうになったが、目が覚めたのは確かだ。
親子ほど、とまではいかないが年の離れた田中に高校生の知り合いはいない。職場の同僚の家族でもなく、近所や行きつけの店のアルバイトでもなく、もちろん元カノでもない。でも確かに名前を呼ばれたんだよなあ…。失礼にも「ゾンビ」とまで言われ、頭の中は靄に包まれてしまったが、体は無慈悲にも無意識に職場へ向かっていく。ミステリアスなハプニングと少女の笑顔の余韻で、こころなしか足取りが軽い。
が、職場についた瞬間、田中は現実世界に引き戻された。机上に重ねられた、付箋のついた書類の束。PC画面の未読の数字。ため息と同時にクリックする。ああ、胃が痛い。
Tuesday
あれから現実に呑み込まれすっかり忘れていたが、朝の通勤電車に乗って田中は思い出した。
あの子。あれは誰だったのだろう。
もしかして夢だったのか?月曜だったし、怠くて居眠りでもしたか。
定位置のつり革に凭れかかっていつものように欠伸をかみ殺していると、ふいに、ポン、と背中を叩かれた。
「背中が曲がっているぞ、田中君」
昨日の女子高生が、いたずらっぽく笑っている。親しげに…。
「え…っと、君は…」
「わかりませんか、ゾンビみたいな田中君」
覗き込む瞳には確かに見覚えが…あっ
「あ、アユミ先生…?の…」
「の?」
「お子さん?」
「正解!娘のカナデです。」
ぺこん、と会釈をし、よかったぁ人違いじゃなくて、と笑った。
「うわ、たしかにそっくりだね。先生はその後お元気で?」
「お元気じゃないです。生きていたら40歳ですけど。」
正面の窓に向かって、少女は淡々とした声で言った。
「あ、…ご、ごめんね、知らなくて。そう、なんだ。先生、亡くなられたんですね…その、残念、というか…」
言葉がうまく続けられず口ごもり、いい大人が情けないな、と、田中はつり革を握りしめた。
「病気だったんです。長く患っていたので、覚悟はできていましたから」
もう大丈夫です、としっかりとした口調で彼女は答えた。
「教育実習のときのことを、母はよく話してくれていたので」
「だから、僕のことを?」
「そう、田中さんと山田さんの話を、いつも。写真も見せてくれて。」
目を細くしながら笑って見せたけれど、その笑顔は少し寂しそうだった。
電車は駅に着き、ではまた、と彼女は降りて行った。一駅分の会話だった。
もう少し話したかったな。駅に溢れる制服の群れに紛れ込むショートボブの後頭部を、田中は見えなくなるまで見送った。
Wednesday
「え、お前も?」
十数年ぶりに話す幼馴染は、ちっとも変ってなくて安心した。
「てことは」
「そう、先週だったんだ。高校の職場体験とかで、うちにも何人か来てて、その中の一人が俺をガン見してくるから、何なんだ?って思ってたらさ、名札を見ながら『豆しばみたいな山田君!』っていきなり。いや、俺すぐピンときたわ。だって、先生そっくりじゃん?」
「だよな。そうそう、アユミ先生お前のことそう呼んでたなあ、今思い出したわ『豆しば』」
「おまえは『ゾンビ』だったけどな」
音大からの教育実習生だったアユミ先生は田中たちの合唱部にも顔を出し、中学生をからかったりからかわれたりしていた。ほかの教育実習生と違って自由奔放な言動が多く、先生方によく叱られていたようだ。
「覚えてる?先生の自己紹介の『アメージング・グレイス』」
「あれはびびった。感動すると鳥肌が立つ、って初めて知ったよ」
講堂に響き渡るソプラノに、全校生徒が魂を抜かれた瞬間だった。
アユミ先生、あのあと、ちゃんと教師になれたんだろうか。亡くなってたなんてショックだよな。もう一度、会いたかったな。ていうか、歌ってほしかったな…。
電話の向こうで、山田の鼻をすする声が聞こえた。
「おれ、初恋だったんだよ、実は」
「知ってた。実は、俺もな」
「知ってた。」
Thursday
「昨日が三回忌だったんです。学校は休みました。」
ガラス越しの青空のその向こうを見上げるような目をして、カナデは言った。秋の空は、なんだってこんなに高く遠く感じるのだろう。
「『豆しば』の山田と話したんだよ。あいつにも会ったんだって?」
「偶然だったんです。私、職場体験は区役所で。担当してくれた人の名札を見たら、山田さんで。信じられます?写真そっくりだったんです。」
あいつは昔も今も童顔だからたぶん一生あの顔だよ、ですよね、と二人で笑った。カナデちゃんいい笑顔。山田の童顔、グッジョブ。
「ところで、アユミ先生、あのあと教師になったの?」
「いいえ。試験に落ちたって言ってました」
「そうか、残念だったな」
「いや、そもそも生徒に『ゾンビ』なんてあだ名付ける先生はダメでしょ、って母に言ったんです。悪気がなくても。今だったら炎上しますよ。」
「まあ確かに。でもその時は全然腹が立たなかったんだよな、俺」
ほら、ゾンビみたいだから、背筋伸ばして―。
屈託なく笑いかけてくれるアユミ先生の手がポン、と背中に触れると、擽ったくて照れくさくて、余計に背中を丸めたあの日。長い前髪の下からこっそり横顔を盗み見ていたよな。
「母には、無自覚で無防備なところが多くて、父は反対だったみたいです。母には教師は務まらない、って。本心は、傷つけたくなかったんじゃないかな。学校が大変なことは私も実感してますし。
結局、すぐに私が生まれたし、体も弱かったからあきらめて。
でも本当は心残りだったんじゃないかな、って、最近思うんです。」
ああもう着いちゃった。カナデは話したりない様子で手を振った。
制服の後ろ姿を見送りながら、この子を抱いているアユミ先生も見たかったな、と心で呟くと、
「もっと見守っていたかったのよ」
そんな声が聞こえた気がして、田中ははっとした。
Friday
普段なら、金曜日の朝だけは元気だ。疲れがたまっているはずなのに足取りが軽くなるのは、俺だけではないはずだ。
特にここ数日は予期せぬ同伴者が憂鬱な朝を吹き飛ばしてくれている。
彼女が乗り込む駅が近づくと、自ずと視線がドアに向かう。
予定通り乗ってきた少女は、秋の雨に濡れてるだけで少し大人びて見えた。
「実はこの電車に乗るの、今日が最後なんです」
カナデは肩と学生鞄についた雨粒をハンカチで拭った。
一瞬時間が止まったような感覚を覚えた田中の目の前で
走り出した電車の窓ガラスについた雫が滑るように流れ去った。
「明日から、朝補習に出ることにしたので。国立大を受けるために」
「…そうなんだ」
「私、賭けをしてたんです」
ふっと力を抜いたような表情で、カナデが言った。
「進路で迷ってて。父の勧める公務員になるか、教師になるか。
田中さんたちがもし、母を覚えていてくれたら、教師に、って。」
「じゃあ、お母さんの代わりに?」
「そうじゃないんです」田中の声を遮るようにきっぱりと否定し、彼女は制服のポケットから古びた写真を取り出した。
「母のお別れ会で田中さんたちが歌ってくれた歌、覚えていますか?
これ、その時の写真ですよね。」
学生服姿のデコボココンビがアユミ先生を真ん中にして照れくさそうに写っている。ぎこちない笑顔の田中は、ギターを抱えていた。
「思い出した!そう、山田と二人で歌ったんだ、Funny Bunny!」
「お母さん、すごく嬉しかったんだって。よく歌ってくれました、その歌。」
その歌に背中を押されたんだ、って、この写真を見せてくれながら、幸せそうに―
「母」ではなく「お母さん」と呼んでいることに気付き、田中は今初めてカナデの心の感触を知った。母を失って、まだ2年しかたっていない少女の。
「お母さん、中学生の男の子の声は日々変わっていくからこの子たちの歌声は二度と聞くことができないのよ、って。そんな過程を、成長する『瞬間』を、見守りたかった、って。教えたい、というより、見ていたいだけだったんだ、って。」
ああそうか。俺はともかく、山田のボーイソプラノはきれいだったな。
「私は、お母さんの感じたその『瞬間』を感じたいんです。不純な動機ですが。」
田中さんのプレイリストにthe pillows が見えたとき、思わず声を掛けてしまったんです、無謀な賭けですよね。
「母のこと、覚えていてくれて、ありがとうございました。」
電車は無慈悲に駅に着き、彼女は深く会釈をして去った。
かけるべき言葉がたくさんあったのに、何一つ言えないまま、田中は閉じたドアの向こうを見ていた。
雨足が強まる駅のホームの人混みをかき分けるように力強く、紛れることなく進んでいく後姿があった。
(end)
いかがでしたか。
感想をお聞かせいただけると幸せです。
これから、こんな感じで、音楽のある日常を描いていこうと思います。
この短編小説集のアイディアの源はこの音楽です。⇩僭越ながら歌詞を書かせていただきました。素敵な曲なんですよ🎵
なお、勝手に使わせていただいたthe pillowsさんのFunny Bunnyはあまりにも有名なので、貼りません。いい歌ですよね。名曲って、錆びないなぁ❤️
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