「自信がない」は幻想かも知れない
結論から言うと、「そんなことで悩む暇があったら手と足を動かせ」ということなのだろう。すごく厳しい解釈をすれば。
あるオーディション番組で、世界的に活躍する歌手である先輩が、デビュー候補生の悩みにアドバイスするという企画があった。その中で候補生から「周りが優秀なので自信を失ってしまい、前に出ていけない」という悩みが出た。
この悩みは私も共感するところがある。
数年前までは今のような図々しさはなく、皆がすごく見えて、「自分なんかまだまだっす…」「場違いかな」「こんな私ですみません」とうじうじすることも多かった。
ましてやこの候補生の場合、オーディションの後半戦なので、周りは厳選されたキラッキラのイケメン実力者ばかり。
だから、先輩はどう答えるんだろう?と期待しながら見守ったのだが、その答えに胸を突かれた。
「この番組に来たのに、なぜそのように考えるのか正直分かりません。チャンスがある間に努力して掴めるチャンスはすべて掴んでほしいです。そうすれば自分だけのものが見つかり、自信が持てるでしょう。そうして成長していくものだと思います」(訳のニュアンスが異なる可能性があります)
直球でキターーーー!
ドキッとするような鋭い指摘だが、心からの誠実な意見だと思う。
何しろ、その先輩は血も汗も涙も枯れるような努力に努力を重ねて今の地位にいるため、説得力がすごい。(デビュー当時は小鹿のような目でお兄さんたちの影に隠れてたのに…成長したのね…涙)
私の耳には、「自信がないなんて気にするな、とにかくがむしゃらに努力して掴み取れ!」というエールに聞こえた。
そうか、自信は後からついてくるんだ。
「自信があるかないか」じゃない、「やるかやらないか」なんだ。
目が覚める思いだった。
考えてみたら、自信がない理由は主観的なものである場合が多い。
私は会社員時代、優秀でソツのない先輩たちが超人に見えて、それに引き換え自分は…といつも自信がなかった。でも、そもそも採用されたということは、その中に自分も入る資格があると判断されたということ。
だから、自信がないだなんて、本来は考える必要すらなかったのだ。
たとえ周りが自分よりすごく見えても、それは自分がそう思っているだけかも知れない。もし本当にそうだとしても、それがどうしたというのか。
結局は、今自分がやるべきことをやる、それだけだ。
そして、やり切った先に握りしめた手を開けば、そこにキラリと光る「自信」というダイヤモンドの欠片があるのだろう。
(余談)
その先輩の言葉の直後に、別の先輩たちも「厳しく聞こえるかも知れませんが、僕たちも同じ経験をしてきたから言えることです」「頑張ってください、応援しています」と温かい言葉をかけていた。私もこんなメンターが欲しい。