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【雑記】妥協や迎合も大切、と言ってはいけませんか?

【雑記】妥協や迎合も大切、と言ってはいけませんか?
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 衆議院議員選挙が近づいてきています。こと政治の世界(に対する市民の願い)では、今日、”断固として貫く姿勢”が支持されているように感じます。でも本当にそれでいいのか、疑問に思う自分もいます。

 自説を曲げずに“壊れたレコード”(生まれも育ちも昭和のおじ!)のように述べ続けることは、エネルギーは要るが実は容易いことです。都度頭を使わなくてよいのですから。

 けれども自説を貫こうとする者ばかりが集えば、衝突こそすれ、何かを産み出すことには繋がりにくいのではないでしょうかね。むしろ譲り譲られ、最大公約数を模索する(必ずしも最大公約数的な結論を得ずとも、その過程を経る)ことが、政治の世界では、そして私たちの実生活でも、実は大切ではないかと思えてなりません。ぶつかったりかみついたりしてばかりの人は、相手にできないでしょう?

 この譲り譲られる調整の過程を、妥協や迎合というのなら、妥協と迎合も実は大切だ。そう言ってはいけませんかね。

(おわり)

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