【街の心理士】染まってしまうということ【雑記】
【街の心理士】染まってしまうということ【雑記】
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」
身近な人との濃密なやりとりによって、私や周囲が変わってしまう、ということの功罪について記しています。
私がその昔、学生として在籍したのが都内の中規模大学だったにも関わらず、なぜだか(数少ない)友人の二人が東広島(注:「広島県民」ではなく「東広島市民」)の人でした。そして東京の人にとって彼らの言葉は少々荒く聞こえる(気持ちは優しい)んですよね。「~だから」を「~じゃけ!」とか言われると一瞬“おっ!”と身構えていたのを思い出すのですが、気がつくと彼らと話す時には、彼らの言葉遣いやアクセントが私にもうつってるんですよね。言語という基本的な心的行為がかくも簡単に他者の影響を受けるものかと、感嘆したものです。
依存症臨床の基本概念に「共依存」というものがあります。依存症者の症状を身近な人(家族など)が影に日なたに援けてしまい、時に促してしまいさえする現象を表す言葉なのですが、「共依存」という言葉はしばしば、身近な人を“叱責する”文脈で用いられます。ただし、依存症者とともに暮らしていれば依存症者の認知・行動様式に知らず知らず染まってしまうのはある意味で当然のことであって、“叱責する”よりも距離をとるよう“励ます”ことが大切だといえますね。
ちなみに、精神病症状(妄想)が周囲の人にうつってしまっていることを「二人精神病 Folie à deux」といいます。「うつる」現象が、精神医学や臨床心理学でも深く認知されている、ということでしょう。
逆に、「共依存」と同じようなメカニズムで、自分にとって望ましい認知行動様式を意図的に身につけることができるようにも思います。望ましい特性を持つ方々と親しく過ごす時間を大切にするのです。
善き人・事には近づき、望ましからざる人・事は遠ざける。そういった選択を地道に行うことが大切だといえるでしょうね。私もそのように実践していきたいと思います。
(おわり)