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国賠訴訟に思うこと
国賠訴訟に思うこと
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」
精神障がい当事者への人権を損なう処遇(非自発的入院など)への不作為を焦点とした国賠訴訟が、東京地裁で進んでいます(十数回にわたる口頭弁論が、夏前に終わる見通し)。学生時代の先輩や職場仲間だった医療者、患者様として知り合った方などが多く関わっているので、進展具合を時折横目で見守っておりました。
関心のある方は、リンク先をご覧ください(論点まとめと各種情報は、原告側からのものであることにご留意ください)。
長期入院を経験されご高齢の当事者の方々には、残された時間は長くはないのですが、憲法判断を要する話題なので、おそらく最高裁まで争われることになるのでしょう。先は長いのです。
国の不作為(少なくとも“充分ではなかった”ということ)が問われることは必然として、より大切なことは、私たち一人ひとりの意識と態度を顧みることだと思われます。
日本の精神保健福祉の長い歴史(呉秀三の嘆きから、既に100年以上)の中で、世論が“逆風”になったことが何度かあったはずです(有名な「ライシャワー事件」など。直近では「津久井やまゆり園事件」なども、そうだったかもしれない)。
世論というものが、時々の社会的刺激を受けて移ろいやすいものだ、ということは仕方がない(むしろ自然なこと)としても、精神障害当事者への認識と態度が公正なものとなるためには、国の作為不作為と同じくらい、現場の私たちのあり方も大切だ、といえるでしょう。最高裁がコメントしただけで偏見が霧消することはありませんし、上から一方的に言われたことには世間に反発も起きるでしょう。私たち地域の専門家の果たすべき役割は大きいのです。引き続き努力したいと思います。
(おわり)