入鄽垂手(序)〔禅の古典〕
十牛図の第十図を「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」と言います。
以下はこの入鄽垂手の書き下し文と、その意訳です。
十牛図はいずれの図も、序(じょ)と頌(じゅ)の二段構成です。
そのうちの序のみを訳しました。
そこでここに残します。
入鄽垂手 序
柴門(さいもん)独り掩(おお)うて、千聖も知らず。
玄関の柴の門を閉じた人のように、この世のどんな"聖"も知らない人がいる。
爺に逢うては爺相応、婆に逢うては婆相応、子供に逢うては子供相応。
爺に会って爺にならう、婆に会って婆にならう、子供に会って子供にならう。
だれかに会ってだれかにならう。
自己の風光を埋めて、前賢の途轍(とてつ)に負(そむ)く。
風光をうずめたように、自分の渇きも自分の闇もなくして、
前賢の途轍にそむいたように、自分の道だとおもっていた道さえもなくす。
瓢を堤(ささげ)て市に入り、杖を策(つ)いて家に還る。
酒瓢箪をぶら下げて町に入って来て、酔っ払って、
転ばないように杖を突いたこの道は、家へかえる道。
酒肆(しゅし)魚(ぎょ)行(こう)、化して成仏せしむ。
酒場へ酒を飲みに行くし、魚屋へ行って肉食だってする、
人々の中へ入って人になる、この人を「人のム(無)」とし仏とする。
訳 2024/06/01
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