A.Y.の掲示板
”獲物を狩るときみたいなあの集中力”のこと 私は26歳男の者です。 与沢翼さんという0からお金を稼げる男性の著書を読んでいたら、ずっと思い出してなかったような感覚がこの体の中から湧いてくるのがわかりました。 まるでずっと前から体の中にあったかのようです。 本を読んで感情移入することは過去に何度もありました。 そういう時は他人の熱意にアテられたみたい胸が熱くなるのですが、そのときはむしろ心は冷たく渇いていきます。 あの「渇きとシビアさとスリル感が混ざったようなあの感覚」は、
小泉様 幸野様 先ほどは面談時間作っていただきありがとうございました。 通話中に話した、”起業者が事業を立てるのに準備する項目”を埋めたメモを送付します。 以下を項目別に書き埋めました。 「誰に、何を、どうやって、どこで、競合他者(差別化・協力化させること)と、事業許可(事業の周囲の支援)で、事業を行う。起業させる需要のため、起業させる知識・経験をもとに、起業させる人脈の中で、起業するのに活用する経営資源と、起業させる資金で、」事業を行う wantedlyと面談の内容から
この記事「返本還源(序)(禅の古典)」について 前回読んでくださっていいねをくれた方ありがとうございました。 書き手の私ひとりが翻訳してるだけと思ってたところに、読み手がいらっしゃったのでまた書いたもの投稿します。 前回の入鄽垂手の前段にあたる「返本還源(へんぽんげんげん)」です。 序と頌のうちから序を訳しました。 返本還源(序) 本来清浄 不受一塵 観有相之栄枯 処無為之凝寂 不同幻化 豈仮修治 水緑山青 坐観成敗 返本還源(序)本来清浄 不受一塵 本来清浄にして
十牛図の第十図を「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」と言います。 以下はこの入鄽垂手の書き下し文と、その意訳です。 十牛図はいずれの図も、序(じょ)と頌(じゅ)の二段構成です。 そのうちの序のみを訳しました。 そこでここに残します。 入鄽垂手 序柴門(さいもん)独り掩(おお)うて、千聖も知らず。 玄関の柴の門を閉じた人のように、この世のどんな"聖"も知らない人がいる。 爺に逢うては爺相応、婆に逢うては婆相応、子供に逢うては子供相応。 爺に会って爺にならう、婆に会って婆にな