返本還源(序)【禅の古典の翻訳】
この記事「返本還源(序)(禅の古典)」について
前回読んでくださっていいねをくれた方ありがとうございました。
書き手の私ひとりが翻訳してるだけと思ってたところに、読み手がいらっしゃったのでまた書いたもの投稿します。
前回の入鄽垂手の前段にあたる「返本還源(へんぽんげんげん)」です。
序と頌のうちから序を訳しました。
返本還源(序)
本来清浄 不受一塵
観有相之栄枯 処無為之凝寂
不同幻化 豈仮修治
水緑山青 坐観成敗
返本還源(序)
本来清浄 不受一塵
本来清浄にして 一塵(いちじん)を受けず
本来は清らかであった。ちりひとつ受け付けない。
本性は本来清らかであった。塵(ちり)ひとつ付いてはいない。
よく掃除してあるお地蔵様に埃は積もっていない。清らかなものは浄らかにされているもの。
観有相之栄枯 処無為之凝寂
有相(うそう)の栄枯を観じて 無為(むい)の凝寂(ぎょうじゃく)に処す
栄枯盛衰する有相を観てきた。なにもしない無為が凝らした寂しさに身を処す。
栄えも枯れも同じ場所で起こるのを観たら、何もしないところには何も起こらないことを観じた。
故郷が滅んだ人は帰れません、自分ひとりが置き去りにされていた。
あったものがあたりまえみたいになくなった、きっとそれはいつか私にも忘れ去られてしまう。
不同幻化 豈仮修治
幻化(げんけ)に同じからず 豈(あ)に修治(しゅうち)を仮(かり)らんや
(有相は、)幻影と同じではない。どうして修行の力を借りようか、いや借りることはない。
幻(まぼろし)に同(どう)じることはない、観るべきものを観たならこれ以上の修行はもはや意義じゃない。
沢の飲み水があれば良い、泳ぐのに水が必要だからって大海に流されなくたっていい。
水緑山青 坐観成敗
水緑に山青うして 坐(いなが)らに成敗を観る
水は緑で山は青い 座りながらうまくいくこととうまくいかないことを観る
水は緑で山は青いみたいに、世界が一色にしか見えないなんてことがない。
坐(すわ)ったままそれを眺める、静かにして初めて見える景色がそれだった。
大自然の自然さを観て、不自然さを成敗する自然の中に居る。
訳 2024/06/04
改 2024/08/08
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