戦争経験者の手記 (#4 感じたことをどうにか言葉にする)
今日聴講した「知性と人生」という授業で、担当教員の清水亮先生が、ご自身のお祖父様のライフヒストリーとして紹介した一節だ。お祖父様は、「戦争で学べなかった悔しさ」を抱き、「大学も働きながら夜学」だったそうだ。
以下のnoteは、今日授業で紹介されたもの。より詳しく書かれています。
「書き遺されたものから祖父と出会い直す/清水亮」
26歳になっても、大学院という環境で学び続けられること。学びたくても学べない時代があった。随分前ではなく、ほんの79年前の話だ。
私は自ら望んで、しかもそれを突き通せる至極恵まれた環境があって、この授業を受け、このnoteを書いている。
当たり前ではないどころか、奇跡だとわかりつづけていなければいけない。
昨年12月に、パレスチナと福岡を主な拠点に活動している写真家、菅梓(すが あずさ)さんにライフストーリー・インタビューをさせていただいた。奇遇の縁を繋いでもらって、有難いことに実現した。
当然、菅さんの人生の物語は大変興味深いもので、私の人生に、そして当然研究にも大きく影響した。(これは別の文脈でしっかり文字にして残る形にします。)
そのことをきっかけに、パレスチナのことをスルーできなくなった。今までスルーしていたのかと言われると、正直そう思う。「戦争だけはしちゃいかん」、清水先生のお祖父様が言ったように、その感覚はあるが、無知ゆえにほとんど対岸の火事だった。
同じ地球(ほし)で、同じ人間であるのに、国が違ったり距離があるというだけで、現実味を持てない。
インタビュー中や、その後やりとりのなかで、そしてガザの情報が目に入るたびに、「何もできないもどかしさ」を感じる一方で、どこかそれも「私は考えてます風」なだけの偽善としか自分自身が思えず、本当に気持ちが悪かった。
するとある日、菅さんが2024年8月17日から8月30日まで、大阪でパレスチナの写真展をされるということで、私の地元が神戸であることも知ってくださっていたのもあって、「もし関西に戻ることがあれば」とお声がけいただいた。母とともに伺った。
ちょうど1組帰られるタイミングで会場に到着したので、壁にかかった写真一つひとつを、菅さんから直接説明してもらうことができた。
全ての写真が印象的だったが、なかでも特に印象的だったものがある。
真っ青な空にまっすぐ伸びている、すごく綺麗なサボテンの写真で、母親が「絵葉書がほしいね」というくらいのもの。
サボテンは、主に家の前に植っているらしい。そこにサボテンがあるということは、そこに家があったという形跡だそうだ。
物販もあって、一部売り切れているものもあったが、いくつか購入した。
そのうちの一つが、B2のポスター。
うちの家の一番目立つところに置いている!
ちょっと写真撮るのが下手すぎるので、こちらから原画を見てください!😂
すごく綺麗な写真だけれど、交差した茶色の鉄骨?に引っ掛けてあるのは、ダミーの爆弾。
地雷とかではなくこんなにわかりやすく偽の爆弾を置いている理由は、「こちらには攻撃の意思はない」と示しているのだそうです。あと、ダミーであれば本物に比べてコストがかからないから、という理由もある。
でも、どれかに一つは、本物の爆弾もある。防衛のために。
こちらにその他のグッズがあります。
今、菅さんのパレスチナ旅行記『聖地パレスチナ一人散歩』を毎朝の楽しみに読んでいて、エルサレムを旅しているような気分になっています。
書いてちゃんと気づいたけど、情景描写がめちゃくちゃ鮮明ですね…本当、ディアラさん(バスで偶然出会ってエルサレムを案内してくれることになった女性)に案内してもらって、私も途中まで観光してます(笑)
こちらが、菅さんのブログです。
家にポスターを飾っている理由は、作品として持ち帰って飾りたいと思ったというのが一つと、もう一つは、私の家に遊びにきた友人に「これ、ダミーの爆弾やねんて」っていうところから、私が言葉を上滑りさせずに話せる範囲で、パレスチナのことを友人と話したりすることが、何もしないよりはやれることをやろうとしていることになるんじゃないか、と考えたからです。
やっと、菅さんにインタビューさせてもらったことを、noteや他の媒体でちゃんと書かせてもらってもいいかもしれない、と思えて、今日書くに至りました。上手く言えないけれど。
何をどうしたわけでもないのですけれど、こういうところから、戦争のこと、世界のことにちゃんと正しい目を向けられる人間になっていこうと思っています。
時間は巻き戻らないから、今からそういう姿勢で生きていこうと思います。まずは、目の前にある自分が一番やるべきこと、自分がちゃんとできることに集中して、やっていきます。
終。