高齢者さんへ、昔の思い出話はもうやめよう。
昔の思い出話はもうやめよう。建設的ではない。高齢者が語る思い出話のほとんどは昔はよかったと今と比較して昔の美化だと思う。どうすれば自分がいい思い出の中で生きてこられたかを切々と語る。そして昔の成功体験を今の若者に押し付けるのだ。それは何も一般の高齢者だけの話ではない。
日本の高度経済成長のあかしとなった1964年の東京オリンピックを回想して再び日本に力を取り戻そうと2020東京オリンピックは始まったし、今維新の会で問題になっている大阪万博にしても昔のいい時代の改装であり、万博が行われれば日本は活気を得るはずだという幻想を追い続けている。現在の総理大臣の派閥である自民党宏池会にしても所得倍増計画という政策が60年前に受けたからと言って2024年になっても国民の所得を上げるという政策を出している。もちろんこちらは大企業のみの一部の人が恩恵を受けられるだけだ。安倍総理にしてもアメリカにしても大企業の富裕層が豊かにんってその豊かになって余ったお金が下々の国民への恩恵となるという政策方向を取っている。トリクルダウンである。しかし、トリクルダウンはおこらなかったし、2024年にしても春闘などがある一部の大企業だけが所得が上がり、一般の国民は所得が上がるどころか所得はジワリと減り続けている。
昔の考えを現代に当てはめて何とか最高を測ろうとするのが日本の悪いところだ。これらは高齢者向けの政策であり、現代を生きる若者<日本においては平均年齢が47歳であるから47歳以下への政策はなかなかとられないといえよう>向けの政策ではなく、思い出話をさあ始めよう。というわけだ。
昔はよかったよねというムードを日本全体で共有し、高齢者に懐かしい思い出を語らせて重要な未来への政策をおざなりにして幻想の中を生きさせる。それが昔語りだということだ。時代がまた変化していることは言うまでもなく昔行った政策が今通用するかというと正直厳しいだろう。インターネットなどの情報通信技術の発達により万博などのアイディアや現地に行って体験するという必要がなくなっているのにもかかわらず、観光客を世界中から入れるという政策を打ち出しているということも人気取りの政策だということだ。
昔の思い出話はもうやめよう。思い出話は昔の良かった幻想を現在に花開かせ現在の問題点をあいまいにして未来への選択を見ることができない。
それにしても、日本中で語られている高齢者の思い出話が日本の政治についても影響を及ぼしているということは日本人の高齢化が進んで日本という国がおいているのだと思う。
日本がダメなのは誰かのせいではない。単に日本という国の年齢が高齢化して思い出話に花を咲かせて日向ぼっこするステージに入っているということだ。もうすぐたらいに入れば終わってしまう。
昔を美化するのはいい。現在の問題点を観なくてもいいからだが、問題点を見て解決策を出し、トライ&エラーを繰り返していきたい。それしか現在日本において国民が生きていくすべはないと思っている。日本という国は老いている。もはやあと数年持てば逃げ切れる人たちばかりだ。国に何かを求めるのではなく。自分で考え生き残る新しい時代を生き残る英知が必要だということだろう。