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はたして運動は買うものか? #2
前回は、私が職業として「運動」を患者さんに提供していることを書きました。それは当然、背景として「運動の欠落」があるからです。では多くの人が「運動」を失う現代はどういう社会なのでしょう。
「知識社会」と「運動不足」はセット
我々が暮らす社会(いわゆる多くの先進国)は「知識社会」と呼ばれます。それはつまり大雑把にいうと、知識のある者が富を得る社会です。「知識があっても知恵がないとダメだ」とかいう議論は置いといて下さい。ここでは知識も知恵も「地アタマ」もひっくるめて「知識」と呼ぶことにします。知性と言っても良いかもしれません。
もっと簡単に言うと、我々はなんとなく「体を使う仕事」より「頭を使う仕事」の方が上等だという意識はないでしょうか?もちろん表面上はどんな仕事も一様に尊いなどと言いますが、心の中では「頭を使う仕事」の方が上だと思っていますよね。正直に言うと私もそうです。もちろんここでは職業の貴賤を議論するわけではありません。
その「頭を使う仕事」においてピラミッドの頂上付近に位置する数パーセント人間で世界中の富の大部分を独占しているなんて話がありますよね。そういうものを度々見せられると、それこそ「額に汗して働こう」などと思う人は少なくなるのかもしれません。
少し脱線しますが、「体を使う仕事」の一つにプロスポーツ選手があります。私はテニスの大ファンで、観るのもするのも大好きです。プロ選手というのは皆さん身体能力がずば抜けた人ばかりです。そして文字通り汗を流して働きます。しかしその中でも勝つ選手、優勝して賞金やスポンサードで大金を得る選手というのはアタマも抜群にいいのです。世界のトッププロのインタビューを聴いていますと、やはり知性がにじみ出ています。「明日も頑張るんで応援よろしく!」で終わるような選手はいません。
話を戻します。皆さん大学に行くのは何のためですか?「体を使う仕事」に就きたいからですか? 違いますよね。きっと大学卒業のその先には「頭を使う仕事」をイメージしているはずです。違ったらごめんなさい。
そして「頭を使う仕事」で豊かになって、どんな暮らしをしたいのでしょうか?もちろん車があって、洗濯機や掃除機があって(当たり前すぎますね)食洗器があって・・・もうやめておきます。知識社会で活躍するアタマのいい人は次々に便利なものを開発します。便利なものとは即ち、体を動かさなくても用事が済む道具です。最近危険だなと思うのは、体を動かさないだけでなく「考えなくても済む道具」が増えてきていることです。
結局「頭を使う仕事」に就き、「体を動かさなくて済む道具」に囲まれた生活に皆さん憧れるわけですから「運動不足」は当然の帰結ですよね。だって家族で住んでいるおうちに洗濯機がなかったら「あそこんち可哀想だな」って思いますもんね。もう洗濯機のない生活は考えられません。ちなみに私が小学生の頃はまだテレビにリモコンがありませんでした。チャンネルをガチャガチャ変えるのは子供の役目でした。うんうんとうなづいてくれる人はいるでしょうか?
要するに、我々がすすんで身を投じてきた「知識社会」は、必然的に我々を「運動不足」にしているということです。
・・・次回は、日本人は「運動」や「体操」などという言葉をいつごろから使い始めたのだろう?というところから考えてみたいと思います。
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