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読書|卵の緒
家族の結びつき方は、いろいろある。血の繋がりのない家族やバラバラの姉弟の物語。
卵の緒
自分は捨て子だと思っている育生。親子の証明に「へその緒見せて!」とお母さんにお願いするも、のらりくらりかわされます。
やっとのことで辿り着いた箱の中には、卵の殻が入っていました。お母さんは突然、育生のことを卵で産んだのよ、と伝えます。
そんなわけあるもんか!と思いつつも「親子の証は目には見えないの」と育生をぎゅーっと抱きしめる母。
何度も大好きと言葉にするお母さんが隣でいるだけで、まあいいかと思えてしまうー。
僕は中学生になった。少し賢くなった僕は、人間が卵から生まれないことを知っている。そして、親子の絆はへその緒でも卵の殻でもないこともわかった。それはもっと、掴みどころのなくてとても確かなもの。だいたい大切なものはみんなそうだ。
育生のお母さんは面白い方でした。奔放でテキトーで、でも愛情深い。育生にかける言葉には、私の真面目な心に響くものもありました。
たまにいつもと違うことしている余裕が育生に必要なのよ。たまに外れたことをしてみないと、ものの重要性がわかんないの。学校は大切だし、休んじゃいけない。でも、学校を休むことはたかが知れてる。たいしたことないってことも、大切だってことも、そのことを破ってみないとわかんないのよ。
学校を休むのは体調が悪い時だけ、そう思っていた子ども時代でした。体調が悪くないのに学校を休むのは、サボっているということ。いけないことだと思ってしまいました。
でも、お母さんが伝えてくれているのは、日常と意図的な非日常をつくることで、見える世界の視座があがるということ。サボることは本当に悪いことなのか、日常は大切なのか、自分で味わってみないとわからないですよね。
せっかく素敵な気づきを得られそうなのに、子ども時代の私に伝えても、学校に行く!と言いそうです。頭が固い…とほほ。
7’s blood
腹違いの弟がいた。父親の愛人の子である七生は、お母さんが刑務所に入るのと同時に我が家にやってきます。
大人からも同級生からも可愛がられる七生に、七子は心がモヤモヤしました。どうして大人の顔色ばかり窺っているのか、物分かりが良すぎて可愛げがない。
でも、そうしないと生きていけなかった七生。子どもなのに大人にならざるを得なかった事実に気がついた時、七子の歩み寄りが始まりますー。
11歳になる七生の処世術には、私も学ぶものがありました。
「ほんの少し気合を入れて、鳥肌が立ちそうな言葉を吐くって大切なのよ。そういう言葉が人付き合いを円滑にしていくの」
私はお世辞が滅法苦手です。小学生の時、周りの子達が可愛いというキャラクターを可愛いと思わず、全く話にのれないことが多々ありました。
幼少期の性格は現在でも受け継がれており、自分がいいと思ったものしか”いい”と言えません。
時に、場の温度を下げてしまっているかも、と自分の素直な気持ちと場の雰囲気の狭間で悩むこともあります。
「ほんの少し気合を入れて」という表現は、思っていないことを盛ってというよりも、自分の”いい”の幅を広げてと私は受け取りました。
自分が素敵だなと思う範囲を広げることで、相手が喜ぶ言葉をかける可能性が大きくなります。
そうやって人間関係が円滑になれば、自分の居心地の良い世界がもっと広がるかもしれません。
巡り巡って、自分と自分の近くにいるひとの日常があたたかくなる。素敵なことだなと思います。
前回の読書感想はこちら。