作家と編集者について
とある編集者の方に、「浜口さんが優秀だと思う編集者の条件ってなんですか?」と訊かれました。
その方は別の業界から中途で入られたので、そんな質問をされたんでしょう。
そこでちょっと自分なりに考えてみました。プロの作家を目指されている方にも参考になるかなと思い書かせてもらいます。
プロの作家になると、編集者が付いてくれます。
編集者って小説、ビジネス書、雑誌、漫画、WEBメディアなどジャンルによって役割が変わるんですが、小説や漫画の編集者でいうと、作品をよりよくするための人ですかね。
作品をさらに面白く、より売れるようにしてくれる協力者という感じでしょうか。作品は、作家と編集者の二人三脚で作り上げるものです。
じゃあどういう人が優秀な編集者かというと、『作品視点、作家視点に立ってくれる人』です。
優秀な編集者って、作家の立場で物事を考えてくれるんです。
「この作家の強みはなんだろう?」「この作家が最大のパフォーマンスを発揮できるようにするにはどうすればいいだろうか?」「この作品をどうすればもっと面白く、もっと伝わるようにできるだろうか?」「この作品が売れるにはどうすればいいだろうか?」
とかですね。
こういう思考ができる人は、作家が信頼できる編集者なんですよ。
逆に良くない編集者は、『作家視点で考えてくれない人』です。
例えば初めて一緒に仕事をする時に、その作家の過去作を読んでいない編集者もいます。
別に読まなくても仕事はできますが、作家のモチベーションは下がるじゃないですか。
今一緒に漫画を作っている編集者がいるんですが、わざわざ遠方から僕のところまで足を運んで来てくださった上に、僕の過去作を何冊も読んでくれていたんです。
漫画の仕事なんでそこまで小説を読み込む必要性は薄いですが、それが作家のモチベーションがあがることだって知ってるんですね。
あと会社の視点でしか発言しない編集者も、作家からすると信用度は下がります。
作家と編集者で時間と労力をかけて企画を練り上げたとします。それを企画会議に提出して、「上司に無理って言われました」と簡単に引き下がる編集者っているんですね。
上司の方が立場が上なので、上司の意見が重いのはわかります。ただあまりにあっさりした調子だと、「本当に戦ってくれたのかな?」と疑惑の念がむくむくと起こります。
「すみません。こっちの力不足で…」と心の底から申し訳なさと無念さが伝わる言い方だとそんなことは思わないんですが、機械的に事務的に伝えてくる人もいるんです。
どう見ても作家より会社を優先しているなっていうのがひしひしと伝わります。サラリーマン編集者というやつですね。
もちろん編集者って出版社の人間なんで、会社側に立つのは当然です。組織の人間ですから。
出版社にとっては作家はただの出入り業者で、しかもたくさんいます。編集者が会社側に立つのは普通の感覚です。だからそれでむかついたり腹が立ったりはしないです。
ただモードは切り替わります。
サラリーマン編集者が相手だと、「この人のために頑張ろう」という気持ちはなく、プロとして仕事をこなすだけのモードになります。
二人三脚で編集者と足を繋ぐヒモを切って、一人で走るモードです。
信頼できる編集者は、作家や作品のためになると思えば、上司や会社に反発してもそっちを優先してくれるんです。
この編集者は凄いと感心したエピソードがあります。
それは『廃校先生』という小説を書いたときです。
これは教師もので、廃校になる小学校の一年間を描いたものです。
この廃校先生は、奈良にある十津川の小学校をモデルにしました。取材に行った時、「あと数年で廃校になるんです」と校長先生が寂しそうに語られていました。
編集者からの案で、その廃校先生の表紙に黒板アートを使うことになりました。
黒板にチョークで描くアートですね。その第一人者の『れなれな』さんに、その小学校の校舎を黒板アートで描いてもらったんです。
こちらがメイキング動画ですが、ほんと信じられないくらいの上手さです。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。れなれなさん、その節は本当にありがとうございました。
廃校先生が無事に発売されてしばらくたったある日、校長先生から、「廃校になることになりました」とご連絡をいただきました。
ついては僕に学校のお別れの会となる、閉校式に参加して欲しいとおっしゃられたんです。僕で良ければと快く承諾させていただきました。
その話を編集者にすると、「れなれなさんの黒板アートを学校に寄贈しましょう」と提案されたんです。素晴らしい案です。
閉校式でれなれなさんの黒板アートを見ていただけるようにしたんですが、みなさん大変喜んでくださいました。
ところが後々聞いたところによると、この黒板アートを東京から奈良の十津川村まで運ぶ運送費がかなり高額だったそうなんです。巨大な上に美術品扱いになるので、うん十万かかるとのことでした。
有意義なことだとは思いますが、そんな大金をかけてまでするようなことではないです。出版社にとってはなんの利益にもならない行為です。
だいたい廃校先生の表紙も、黒板をまるまる一つ買ってれなれなさんに描いてもらっていますからね。普通の制作費よりもかなり高いです。そこにさらにお金をかけると言ってるんですから、一般の編集者の感覚じゃないです。
こんな提案、どんな編集者もしないです。
百歩譲って廃校先生がベストセラーだったらいいかもしれないですが、そんなに売れていない作品です。
でも編集者は、作品のためにそうしてくれたんです。売れていないかもしれないですが、廃校先生にはそうする価値があると考えてくれたんです。
もしかすると上司の方は渋い顔をされたかもしれませんが、その編集者は作品のために押し通してくれました。
優秀な編集者の条件が何かと問われたら、僕はこういう人だと考えます。作家が、「この編集者は信頼できる」と思える人です。
もしその編集者の方が出版社を辞められて、別の出版社に移動したり独立されても、一緒に仕事したいなと思います。
一方サラリーマン編集者の方だとそうは思わないです。どれだけ仕事ができる人でも関係性はそこで切れてしまいます。
作家の運の一つに、いい編集者に出会える編集者運というのがあります。みなさんがプロの作家になったら、ぜひこんな編集者さんと出会って欲しいです。
↓最高の感動作です。おすすめです。ぜひ読んでみてください。
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