note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第30話
前回までのあらすじ
時は昭和31年。家事に仕事に大忙しの水谷幸子は、宇宙人を自称する奇妙な青年・バシャリとひょんなことから同居するはめに。幸子は子供時代の頃を回想する。シベリアに抑留されていた父の周一が帰ってきたのだが……
お母さんが、なだめるように言った。
「ほらっ、お母さんは大丈夫だから。あなたも心配しないでちょうだい」
それは、わたしの耳には届かなかった。どうしてお母さんを止めてくれないの。どうして……
絶望と恨みで、体が引き裂かれそうだった。
お母さんはいつまでも忙しいままだった。その後も機会があれば、お母さんの説得を続けたけれど一向に効き目がなく、やがてあきらめた。
そんなある日、お母さんが一台のミシンを買ってきた。倹約家のお母さんがそんな高価な品を買ったことに目を見張っていると、お母さんは声を弾ませて言った。
「あなたに洋服を縫ってあげようと思ったのよ」
「お母さん、洋裁なんてできるの?」
「ちょっとだけね」
照れくさそうにそう言い、早速ミシンを踏み込んだ。手元はおぼつかず、縫い目もがたがただ。
洋服どころか、雑巾も縫えないんじゃないか。ただ、お母さんの口元は終始ゆるみっぱなしだった。
こみあげる喜びをおさえられない。体全体がそう語っていた。ミシンの振動でゆれるお母さんの背中に、わたしはしばらくの間見とれていた。
お母さんのミシンの腕は、またたく間に上達した。
ミシンが奏でる雑音は軽快な音楽へと様変わりし、ぎこちなかった手つきがなめらかになった。短期間でこれほど腕をあげていくことに、わたしは驚きをかくせなかった。
「お母さん、一体、どうしたの?」
「秘密よ。秘密」
お母さんはおかしそうに言った。
しばらくしてブラウスが完成した。胸元にフリルが入った可愛らしいブラウスだ。
「ほらっ、幸子着てみなさい」
お母さんにせかされて、わたしは早速それを身にまとった。すべるような生地の感触が腕に伝わる。サイズもぴったりだ。
お母さんは満足げに頷いた。
「うん、いいわ。素敵だわ」
わたしも姿見を覗き込んで思わず息を吞んだ。自分で言うのも何だけど、本当によく似合っていた。服を変えるだけで、まるで別人みたいだ。
「お母さん、ありがとう」
「どういたしまして」と、お母さんは目を細めた。
その後もお母さんは時間を見つけては、わたしや健吉、それに近所の人から頼まれた洋服まで縫っていた。
そんな暇があるなら体を休めて欲しい。嘆願が喉元までこみ上げたけれど、楽しそうなお母さんの姿を見ると言葉が出なかった。
そのころから、わたしは前以上に忙しくなった。高校卒業後銀行に就職しようと、勉強時間を増やしはじめたからだ。
女性が就職できる仕事の中では、銀行の給金は比較的高い。そのお金を家に入れれば、お母さんに楽をさせてあげられる。そう、考えた。
しかし銀行で働けるのは家柄の良い女性ばかりで、わたしでは到底不可能だった。
ただ、お母さんの生徒の父親が近くの銀行の上役だったから、その人が口をきいてくれるのと先生の推薦さえあれば、どうにか就職できるのではないか、と目論んだのだ。
でも、そのためには優秀な成績が必要とされる。だからわたしは必死で頑張った。通常の科目以外にもソロバンの練習に励み、一級の資格もとった。早くお母さんを助けてあげたい、その一心だった。
そして、あの日を迎えた。高校三年の五月だった。
「水谷、ちょっと来い」
と授業中に担任の先生に呼び出され、職員室に向かった。
先生は言いにくそうに告げた。「お母さんが、倒れられた」と。
お母さんが仕事中に血を吐き、病院に運ばれたそうだ。わたしは学校を早退し、そのまま病院へと急いだ。
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