落語ができない落語家はアリかナシか
いつもお世話になっています。作家の浜口倫太郎(@rinntarou_hama)です。
さあ今回の題名の『落語ができない落語家はアリかナシか』を見て、みなさまどんな感想を抱いたでしょうか。
そんなの成立していないだろ。
そう思われる方がほとんどじゃないでしょうか。当然です。落語ができるから落語家なんです。
野球ができない野球選手、サッカーができないサッカー選手がいないように、落語ができない落語家なんか存在するはずもありません。
でも僕たちがよく知るある方が、この落語ができない落語家なんですよね。
それは、明石家さんまさんです。
さんまさんといえば日本一有名な芸人さんですが、もともとは落語家だったんですよね。
さんまさんは笑福亭松之助師匠に弟子入りし、この世界に入りました。松之助さんは落語家ですからね。当然さんまさんも落語家になりました。
ちなみに『さんま』という芸名は、師匠である松之助さんが与えたものです。松之助さんは弟子に芸名をつけるときは、その弟子の家業から取っていたんです。
さんまさんの実家は水産加工業を営んでいました。そこで取り扱っている魚が『さんま』でした。だからさんまという芸名になったんですね。
ちなみにさんまさんと同期の芸人である島田紳助さんは、さんまさんが「師匠にさんまという芸名をつけられた……」と聞いた際、「こいつ終わったな」と腹を抱えて笑ったそうです。
売れっ子になった今だと『さんま』という芸名は普通に聞こえますが、そんな変な芸名で売れるなんて誰も思いませんからね。
さんまさんも最初はこの芸名になって落ち込んだそうですが、「こんなに覚えやすくて親しまれる芸名はない」とすぐに考え直したそうです。
落語家の弟子になったのだから、当初はさんまさんも落語をやっていました。
ところがさんまさんは落語が下手だったんですね。本題の落語に入る前の前段階の部分を落語では『マクラ』と呼ぶんですが、そのマクラはドカンドカンウケる。
でも肝心の落語に入ると、お客さんがしんと静まり返ったそうです。
そこである日を境にさんまさんは、「俺は落語は向いてない。テレビでスターになる」と落語をピタリと止めるんです。
落語家ならば、下手でも落語をどうにかうまくなろうとするじゃないですか。
周りの目もあるし、「落語家で落語ができないことは恥ずかしいことだ」って普通なら考えそうじゃないですか。
でもさんまさんはそこで自分の才能を見切ったんですよね。向いてないことに力を注ぐのではなく、向いていることに全力を尽くす。選択と集中です。
しかも師匠の松之助さんが、その決断を後押ししました。
「落語はこれからどんどん力を失う。でもテレビの影響力は拡大するに違いない。さんまはテレビタレントの力があるのだから、向いていない落語をする必要がない」
そうおっしゃられたんですね。落語のできない落語家の誕生です。
さんまさんも凄いんですが、やっぱり松之助師匠の先見の明がとてつもないなと。
確かにお笑いの中で落語は中心的なものでした。落語以外の漫才などは、『いろもの』と呼ばれてましたからね。主となる演芸のいろどりになる芸という意味です。
つまり主が落語で、それ以外の諸芸が漫才とかだったんですよね。
ところが松之助さんはもう落語の時代ではなく、テレビタレントや漫才師の時代になると見抜いていたんですよね。
結局職業よりも、職能が大事ってことなんですよ。
「俺の職業は落語家だ」という職業名にこだわる人から見れば、さんまさんや松之助さんの選択は論外です。落語のできない落語家なんて考えられないです。
でも落語家の職能は『人を笑わせること』です。だったら落語家でも落語をせずに、テレビの世界で人を笑わせるのはなんらおかしいことではありません。
自分の才能、職能を見抜いて、これから伸びる分野で活かす。
これがさんまさんが成功した秘訣なんでしょう。
そしてその決断を援護してくれたのが、先見の明のある松之助さんだった。さんまさんが松之助師匠を師匠に選んだのも成功の一端だったんだと思います。
松之助さんは80歳を超えて、始まったばかりのブログとかもやられていましたからね。
もし今もご在命だったらユーチューブとかインスタとかTiktokも挑戦されていたんじゃないでしょうか。とくかく粋なんですよね。松之助師匠って。
羽織に『さんまの師匠』と刺繍して笑いをとられていましたからね。さんまさんが松之助師匠に弟子入りしたのもわかります。
僕も作家だからといって小説を書くことだけにこだわらず、職能を活かしていろんなことにチャレンジしようと改めて感じました。