note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第45話
前回までのあらすじ
時は昭和31年。家事に仕事に大忙しの水谷幸子は、宇宙人を自称する奇妙な青年・バシャリとひょんなことから同居するはめに。幸子が自宅へ帰ると、弟の健吉が倒れたという知らせが……
「うっ……」
健吉が、目を覚ました。わたしは覗き込むように声をかけた。
「健吉、大丈夫? しんどくはない?」
健吉は目を開けると、わたしではなく、お父さんに顔を向けた。そして、ほっとした様子で手をさし出した。
「お父さん……」
お父さんは、そっとその手を握り返した。
「大丈夫だ。ここにいるからな」
手をとり合う二人の様子を見ているうちに、わたしは段々いたたまれなさで押しつぶされそうになってきた。
健吉は、わたしよりもお父さんを頼っている……その事実がぎゅうっと胸をしめつける。
わたしは、逃げるように家を飛び出した。しんと静まった暗闇を駆けぬける。なまぬるい夜気をかきわけながら、わたしはひたすら走り続けた。
路地を抜けると、目黒川が目に飛び込んだ。その奥には工場の煙突がそびえたち、眼下ではダルマ船が体を休めていた。
湿った川の匂いがかすかに鼻をかすめた。
わたしはその場に座り込み、顔を両膝にうずめて泣いた。昔からつらいことがあるときは、ここで一人泣いた。
ここは、唯一自分をさらけ出せる秘密の場所だった。でも、お母さんが亡くなってからは、それを止めた。天国のお母さんが悲しむと思ったからだ。
でも、もう……耐えられなかった。
どのくらい経ったころだろうか、のんびりした声が背中に降ってきた。
「やあ、こんなところにいましたか。ずいぶんとさがしましたよ」
バシャリが板塀からひょっこり顔を出した。わたしはあわてて涙をぬぐった。
「何しに来たのよ」
とがった口調を気にも留めず、バシャリは隣に座り込み、あやすように言った。
「まあ、まあ、そんな冷たいことを言わずに少しだけ一緒にいさせてくださいよ」
わたしはぷいと顔をそむけ、前を向いた。思わぬ邪魔が入ったせいか、涙も自然と止まった。
むしゃくしゃした気分で、暗闇にしずんだ川を眺める。竹が一本、ぷかぷかと浮かんでいた。ふと、バシャリが口を開いた。
「そういえば、フタの話をしましたね。健吉はフタが開いているという話です。
実は、もう一人フタが開いている人物がいるのです。誰だかわかりますか? 周一ですよ」
「お父さんが?」
しゃべるもんかと唇をかんでいたのに、思いもよらぬ言葉だったので、つい訊き返してしまった。
「ええ、周一です。フタが開いている人間はとても人の気持ちに敏感なのですよ。
だから幸子の周一に対する怒りの感情にも、周一は当然、気づいています。そして周一は、それを大変悲しんでいます」
「お父さんが悲しんでる? そんなはずないわ」
バシャリは神妙に首をふった。
「娘に嫌われて、平気な父親などいませんよ」
さっきのお父さんの瞳が頭をかすめ、胸の奥がズキンとうずいた。それをかき消すために大声で叫んだ。
「あなたにはわからないのよ! わたしやお母さんが、あの人のせいでどれだけ辛い想いをしてきたかなんて!」
わたしの叫び声があたりに響き、空気がピンとはりつめた。バシャリはささやくような吐息をもらすと、突然申し出た。
「では、ここで幸子に贈り物を贈呈しましょう」
背中にかくし持っていた卵焼き器をとりだす。わたしはきょとんとした。
「……卵焼き器なんかいらないわ」
「よく見てください。何か載ってませんか?」
その言葉に導かれるように目を凝らして、思わずぎょっとした。卵焼き器の上に灰色の球体が浮かんでいる。
「それって……まさか、さっきの……」
びくびくしながら指さした。バシャリが頷いた。
「はい。そうです。感情の球体ですよ」
「さっきと色が違うわ」
「もちろんです。さきほどの緑色は回復色です。これは人間の記憶を集めたものです」
「記憶?」
「正確には感情の記憶ですけどね。その人間の記憶によって色は変化します。
黄色は幸せ、赤色は怒り、青色は辛さといったようにね。灰色は別名・傷つき者と呼ばれる、悲しみの色です。周一の記憶色ですよ」
「お父さんの……」
あらためて球体を見つめる。その濁った灰色が身をふるわせる。
「ええ、さきほど幸子は周一のせいで辛い想いをしたと言いましたが、幸子も知らない間に周一を傷つけているのです」
わたしは瞬時に否定した。「そんなはずないわ」
「そう言うと思いました」
と、バシャリはおかしそうに言った。
「この星の人間はあまりに他人の感情に鈍感です。だから幸子にはほんの少しだけでもそれを体験していただきたいのです」
その言葉で、バシャリのねらいに気づいた。
「もしかして……それを体に入れるの?」
第46話に続く
作者から一言
感情ごとに器が違います。卵焼き器は記憶の感情を受け取る機能があるようです。ラングシャックは各星でもっとも見つけやすいといわれているのですが、なぜか地球ではなかなか見つかりません。
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