連載「若し人のグルファ」武村賢親41
醜くゆがんだ口元に歯ブラシを突っ込んで、かなり強く動かしていた。
シャコシャコシャコという規則的な音の隙間から嗚咽が漏れている。強すぎる摩擦で歯茎が破れたのか、血の混じった歯磨き粉の泡が口の端からこぼれ、洗面台に滴り落ちている。
「おい。血出てるじゃねぇか」
あふれ出る泡が鮮やかなピンク色になっている。丑尾は手を止めない。
「もうよせって、バカ」
小刻みにゆれ続ける肩を掴んだ瞬間、はじかれたように振り向いた丑尾に体当たりされて、俺たちはそのままガラス戸を突き破って風呂場に倒れ込んだ。
大量の水がシャワーヘッドから降り注いでくる。倒れ込む際に手が蛇口に触れた気がしていた。見れば引き戸の車輪がアルミサッシから外れていて、曇りガラスがだらしなく斜めに傾いている。浴槽に打ちつけた後頭部が痛んだ。
「なにしてんだよ」
身体を起こそうとした瞬間、覆いかぶさるように丑尾の顔が眼前に迫った。嗅ぎ慣れた歯磨き粉のミントが香ったと思った直後、俺の呼吸は丑尾の唇によってふさがれた。
思いがけない状況に目を白黒させていると、生温かい唾液と泡が口の中に流し込まれる。引き離そうともがくが、まるでヘッドロックを決めるかのようにまわされた腕は一切力を緩めることなく俺の頭を締め上げていて、まるで一ミリも逃れられない。
互いの歯がぶつかり合ってがちがちと鳴る。呼吸のために泡を押し返そうとするが、すると丑尾はムキになってか、今度は舌ごと突き込んでくる。
口の隙間から唾液がもれて、生ぬるい感触が耳の方へと伝わってきた。
丑尾の頬骨で鼻がつぶされ、いよいよ苦しくなってくる。視界に網がかかりだし、これはもう限界だと、丑尾の脇腹を拳骨で叩く。ふさがった口から呻き声がもれ、一瞬だけ頭を縛る腕の拘束が緩んだ。腕を振り解いて、口を離す。
追いすがろうとした丑尾を頭突きで怯ませてから、どうにか動きを封じようと肩を掴んで引き倒し、暴れる丑尾の喉元に腕を押し当て、両腕は頭上で縫い留める。馬乗りのような状態になって、なんとか形勢を逆転した。
「お前、どうしたんだよ」
すぐ目の前に丑尾の顔がある。浅い呼吸がお互いの鼻先に触れ続け、ミントの香りに混じってかすかな鉄の匂いがした。
丑尾は拘束を解こうと身をよじったが、あきらかな体格差の前に諦めがついたのか、すぐに大人しくなった。
「なぁ、どうした」
もう一度問いかける。
丑尾はべたべたになった唇を何度も開閉させ、言葉を探すように目を泳がせた。そしてもう一度俺を見上げると、声をひどく震わせて、絞り出すように声を上げた。
「お前もおれを、女だと思うか」
過去の大喧嘩でも直面したその問いが、今度は成熟した丑尾の肉体とともに俺の前に横たわる。釣り上げた目尻も、噛みしめて血の滲む歯茎も、丑尾の全身が自ら口にした言葉を否定したくて戦慄いているように見えた。
「答えろよ」
涙と唾と血と泡が、シャワーから注ぐ流水ですこしずつ洗い流されていく。
丑尾は瞬発的に片手首の拘束を解いて、降り下ろしざまに俺の頬を強く打った。
ミントよりも濃い鉄の味が口内にひろがる。たった一発で切れたのか、舌で探ると奥歯の方が熱かった。
「おまえも、おれが女だって、本当は思ってんだろう」
最後の方はもはや嗚咽混じりで、子どもが泣きじゃくって駄々をこねているようだ。
過保護なおにいちゃん。小糸のささやきが鼓膜の奥で蘇る。
「お前は、女だ」
俺のひと言に、丑尾の目が見開かれた。大きな瞳が小刻みにゆれ、噛みしめた唇に血が滲んでいる。俺の腕を爪が食い込むくらい握って、認めないぞと言うように、首を左右に振った。
どんなに男を演じても、やっぱりお前は女なんだよ。
手首の拘束を解いて、色の変わったシャツを下着ごとめくり上げる。ぎょっとして隠そうとする丑尾の手を喉元に宛がったままの腕で制して、露わになった小振りな胸を手のひらで鷲掴みにして見せた。
丑尾のもう一方の圧拳が飛来して、俺の顔を打つ。頭を、頬を、目を、あごを、ただひたすらに殴りつけてくる。
バカバカしいよな。お前が必死になって燃やそうとしてきたこの脂肪の塊は、ちょっと力を加えてやれば手の中でやわらかく形を変えて、お前の意志とか関係なしに、勝手に存在を叫ぶんだ。
いつも裸で風呂から上がってきて気にも留めない乳房の先が、いまは指の狭間にとらえられ、つんと寂しく尖っている。
殴りつけてくる右手はそのままに、乳房を放した手を、今度は下へとすべらせる。
丑尾の攻勢が一層強くなった。とにかく俺の手を止めようと必死になって抵抗してくる。
すこし上体を下げて、さらされたままの丑尾の乳首に軽く歯を突き立てた。
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