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格闘ゲームと『セルフ・コンパッション』Part①

◆セルフ・コンパッションとの出会い

私は緊張しやすい性格以外に精神的に落ち込みやすく自己批判が激しいという性質があるので、鉄拳に限らず、日常生活でも自分の気持ちに引きずられてしまって何事も手につかない、ということが時々あります。そういった自分の性質と向き合うために読んだ本がありました。

クリスティン・ネフ氏 著作の『セルフ・コンパッション』です。
私は新訳版をAmazonのKindleでダウンロードして読んだので、Amazonのページを貼っておきますね。

こちらの本ではセルフ・コンパッションとは何かということと、作者自身の人生と自己批判の体験作者の周りの人々の自己批判とセルフ・コンパッションの体験心理学に基づいた実験とその結果セルフ・コンパッションを実践するためのエクササイズ等がまとめられています。

私がこの本を手に取った時は、ランクマで理不尽に負けた時に死んでしまいたくなるくらい追い詰められて何事も手に付かない、というような状態でした😓 負けるのが悔しいというよりも、何も出来ずに負けている自分が情けないという感情が大きかったです。私は自己批判が趣味になるのではないかというくらい自分のダメな部分を指摘しまくる癖があって、対戦している時に悪いところがあると…、

「これができてない!」
「あれもできてない!」
「そんなこともできないの?」
「どうしてできないの?」
「馬鹿だからできないんだね」
「そんなにできないなら辞めたほうがいいんじゃない?」
「〇ねば?」

………というような酷い言葉を自分にぶつけまくっていました?
発売当初の鉄拳8のゲーム性が攻め!攻め!攻め!アグレッシブ!!!!👊💥💥💥というようなものだったので守りに入れば轢き〇されるのは日常茶飯事なゲームだということは理解していましたが、そんなゲームに順応できない自分が情けなくて、自己批判の塊のようになっていました。

そして私はSNSでX(旧Twitter)を使って鉄拳のコミュニティに触れているタイプの人間なので、「鉄拳8から鉄拳始めました!〇〇段まで行けましたー!」というポストを見る機会がとにかく多いです。そうした時に私は「(え…私鉄拳7からやってるんだけど…)」という気持ちになっていってしまったのです😥
つまり、人と比べて落ち込んでしまう、といういちばん自分の成長の妨げになることしかなかったのです。自分より何年も、はたまた何十年も鉄拳をしている人が私より上の段位にいるのは当たり前ですし妥当だなと思います。いつも対戦してくださったりした時に実力の差が目に見えるのでそこは受け止められるのですが、初心者に抜かれていく現状については、どうしても私は納得がいかなかったのです。上記の自己批判と相まって、精神的に病んでいくのを止められないことが発売から半年以上もありました。

そんな自己批判と他人との比較での落ち込みが強く出てしまう私が、自分の足を引っ張りすぎるマイナス思考な性格と上手く付き合っていくために、どうにかできる方法はないかと探した結果がセルフ・コンパッションとの出会いでした。


◆まとめる内容について

ここからは本の要約になります。セルフ・コンパッションは大きく5つに区切られている為、こちらでも対応した部ごとに要点をまとめていきます。
簡単にまとめると、

第Ⅰ部では、本書の説明と人間として生きている私たちに付きまとう性質(自己批判)の話
第Ⅱ部では、セルフ・コンパッションの核となる構成要素についての説明
第Ⅲ部では、自己批判が起こすマイナス効果自尊感情との違いと学習への意欲セルフ・コンパッションがもたらす恩恵について
第Ⅳ部では、人間関係セルフ・コンパッションについて
第Ⅴ部では、更に発展したセルフ・コンパッション結論について

というような構成でまとめられています。原本がローマ数字で区切られその部ごとに章もある為、こちらでもそれに沿って要点をまとめていきます。
その中で章の具体的な内容とリンクした著者のクリスティン・ネフ氏のセルフ・コンパッションと関連した人生のお話なども多数収録されています。そちらは本書を深く理解するにあたっての導入として機能するものなのでこちらでは割愛させて頂きます🙇‍♀ 本書を読む機会がありましたら著者の人生を通して発揮されたセルフ・コンパッションと実体験を是非追ってみてください🐎

この記事では、私なりにセルフ・コンパッションを読んで感じたこと、実際にセルフ・コンパッションに取り組んでみてどうだったかということ、格闘ゲームとセルフ・コンパッションで応用できそうな部分で補足していきます。そのため本の内容全ての完全な要約ではなく、本の内容を格闘ゲームに応用するとしたらどのようなものになるのか?という独自の解釈を加えている為、あくまで参考程度にして頂けますと幸いです。
長いまとめとなるので今回の記事で第Ⅰ部~第Ⅱ部をまとめ、記事の最後でセルフ・コンパッションを格闘ゲームというジャンルで活かせそうな部分について私なりの本書の解釈などをまとめて今回は締めようかと思いますので宜しくお願い致します🙇‍♀️
◆第◯部 〜タイトル〜 の部分は原文のまま、
◇第◯章 〜タイトル〜 の部分も原文のままとなります。
実際に読む時など参考にしてください。

では1部ずつ見ていきましょう。



◆第Ⅰ部 なぜセルフ・コンパッションなのか?

第Ⅰ部はセルフ・コンパッションを学ぶ前に競争社会の中で私たちが直面している他者との比較によって起こる様々な事例と、自分を他者と比べて肯定的に捉えることの難しさ、そして他人をけなすことによって得られる一時的な自己肯定が生む自分の成長の停滞と葛藤という人間の中にある自己批判が生む弊害について読者に寄り添う形でまとめられている。読み込んでいく中で、次の第Ⅱ部で出てくるセルフ・コンパッションの3つの構成要素についての導入もあり、第Ⅰ部をさらっと読んだ上で肝心の第Ⅱ部に進むことを強くおすすめします。


◇第1章 セルフ・コンパッションを見つける

この章では、身近にある私たちを苦しめる自己批判と自己評価の苦悩について導入としてまとめられていて、自分の心がどのような状態なのかを測るためのエクササイズも掲載されています。

1章の要点はこの通りになります。

・自己批判をやめるにはどうしたらいいのか
・セルフ・コンパッションに取り組むには自分自身への思いやりが必要
単なる自己憐憫ではないセルフ・コンパッション
・セルフ・コンパッションは人生における情緒面でのウェルビーイングと安らぎを得るための強力な方法である
・エクササイズ「自分自身と自分の人生にどう反応していますか?」
・エクササイズ「手紙を書いてセルフ・コンパッションを探求する」

いくつかありますが、太文字の部分を特に解説していきます。

📌単なる自己憐憫ではないセルフ・コンパッション

自己憐憫(じこれんびん)とは、自分自身を哀れみ、悲しむ心情を指す言葉である。自己憐憫は、自己の不幸や困難な状況に対して、自己同情とも言える感情を抱くことを表す。自己憐憫の状態では、自己の状況を客観的に見ることが困難になり、自己中心的な視点が強まる傾向がある。このため、自己憐憫に陥ると、自己の問題解決や前向きな行動を妨げる可能性がある。自己憐憫は、心理学の領域でしばしば取り扱われ、自己の感情を理解し、適切に対処するための手法が提唱されている。(Weblio国語辞典より 2024/08/17時点)

セルフ・コンパッションはこういった身勝手な自己憐憫とは違うと著者は述べています。

セルフ・コンパッションとは、自分の問題のほうが相手の問題よりも重要だと考えるということではなく、自分の問題も同じく重要であり、対応するだけの価値があると考えるということである。

クリスティン・ネフ(2021)セルフ・コンパッション[新訳版]
第Ⅰ部 1章

本著の中に登場する著者の周りの自己批判に苦しむ人々もまた最初にセルフ・コンパッションはこの自己憐憫ではないのか?という疑問を持っているため、読者に対する「セルフ・コンパッションというのは自己憐憫とは違うんだよ」、というための前置きですが、さらっと流すには非常に勿体ないので要点としておいておきます。自分に対して優しくするなんて悲劇のヒロインを気取りたいだけなんじゃないの?というような想定は一旦心に仕舞って本を読み進めていきましょう。


◇第2章 愚行はおしまいにする 

この章では、自分の自己批判がどの程度のものでどのように付き合っていったらいいのかということを語りかけてくるような章となっています。この本を手に取ったということは読者それぞれに自己批判による悩みがあるからだろうと思いますが、そのように自己批判してしまう自分を責める必要はないということを解き、どうしたら等身大の、ありのままの、自分というものを受け入れることができるのか?という準備期間の章となります。

2章の要点はこちらになります。

自分を責めること(愚行)をおしまいにする
・他者より優れていると感じたい私たちの習性と他者の悪いところばかりを見ることによって思考が悪意に満ちる
エクササイズ「ありのままの自分を見る」
・自分を責めることをやめられない理由
・親などの養育者からの厳しい批判がありのままを受け入れられない心を作る
・自己批判的な人が生まれる環境と自己批判的な人の思考の仕方について
・著者の人生について
・極端な自己批判をする人はそうでない人より自殺傾向がはるかに高い
・自己批判から抜け出すにはどうしたらいいのか?
・エクササイズ「批判する者、批判される者、思いやりのある観察者」

主に太文字の部分を取り上げていきます。

📌愚行はおしまいにする

 セルフ・コンパッションがこの愚行(※自己批判)に取って代わりうるものであることを学びはじめると、今度は、自らのエゴの機能不全自体を、安易に批判するようになる。「自分はなんて思い上がっているんだ。もっと謙虚にならなくては!」、「私って、自分を非難してばっかりだわ。もっと優しくなって、自分を受け入れなくちゃだめ!」といった具合である。
 しかし、何よりも重要なのは、こうして自分を責めるのをやめることである。どれだけ責めても、得られるものはないだろう。本当の意味で自分への思いやりをもつ唯一の方法は、このような神経症的なエゴ・サイクルが自分自身の選択によるものではなく、自然で普遍的なものだと気づくことである。簡単に言えば、機能不全は親から受け継いだもの、人間としての遺伝の一部なのである。

クリスティン・ネフ(2021)セルフ・コンパッション[新訳版]
第Ⅰ部 2章

「何よりも重要なのは、こうして自分を責めるのをやめることである。」
ネフ氏が言うように、セルフ・コンパッションを読み進める上で忘れてはいけないことです。
この一文を忘れてしまって、私自身はセルフ・コンパッションを学んでも安易な自己批判のループに入って更に強く自分を貶しひどい言葉をかけてしまった為、もう一度本著を読んでまたこの一文に出会うまでだいぶ苦労をしてしまいました。不完全なセルフ・コンパッションへの理解が生む典型的な自己批判ループからまず抜け出すことが必要なため、セルフ・コンパッションを実践的に取り入れていきたい人は、本著を読んだりセルフ・コンパッションを実践していく中でこの一文をメモを取っていつでも見返せるようにしておくことを強くオススメします。
そして、このような批判しがちな心の動きというのは自然で普遍的なもので、人間としての性質の一部だと認めることも重要であり、第Ⅱ部のセルフ・コンパッションの核となる構成要素である『共通の人間性を認識する』、というものの中に含まれる内容です。

📌エクササイズ「ありのままの自分を見る」

こちらは第Ⅰ部2章のエクササイズ①に収録されている、社会が重んじる個人の特性────気さくな人柄、頭の切れ、魅力など────をそれぞれ平均以上、平均的、平均以下で分類し5つずつ書き出した上で、その特性がいったいどういうものであるのかという著者からの優しいメッセージが添えられた素晴らしいエクササイズとなっています。
このような自分の特性を5つずつ取り上げて行った上で、著者の言葉を読むと、自分が取り上げた平均以上だと思うことも平均的だと思うことも平均以下であるということも全てひっくるめて自分なんだと受け止められるので実際にやってみるのがオススメです。私自身は社会が求める特性を挙げてエクササイズをやるのではなく、格闘ゲームをする自分を主軸にしてセルフ・コンパッションに取り組みたかったので(←)格闘ゲーム視点での私やSNSでの言動だったり人との関わり合いの中で見せる自分を客観的に評価して取り組みました。著者のネフ氏は特性を取り上げた読者にこのような言葉をかけてくれます。

上に書き出したすべての特性を見直しましょう。自分のもつこうした面をすべて受け入れることができますか? 人間であるということは、他者よりも優れているということではありません。人間であるということは、人間として生きていく上で、肯定的なものも、否定的なものも、ニュートラルなものも、すべてひっくるめて体験するということです。人間であるということは、多くの点で平均的であるということです。あなたは、自分がこの地球上で、その身に降りかかる複雑なことや不可思議なことをすべて体験しながらいきていることを、すばらしいことだと思えますか?

クリスティン・ネフ(2021)セルフ・コンパッション[新訳版]
第Ⅰ部 2章

本を読むだけでは得られない著者の共感と寄り添いがこのエクササイズを通して得られるため、収録されているエクササイズ自体にも価値がある本だと言えます。
こちらの特性を5つ挙げるエクササイズ以外にも、第Ⅰ部の1章にはエクササイズ「手紙を書いてセルフ・コンパッションを探求する」という自分に対して思いやりのある手紙を書く、というものもあります。私が本著に出会った時は自己批判の海にどっぷりと呑まれてしまっていたため、手紙を書くエクササイズをして涙が流れるほどでした。そのエクササイズを通して、自分に優しくしてもいいんだと初めて実感した経緯があります。エクササイズのやり方を原文のまま引用するとかなり長くなってしまうため割愛させていただきますが、手紙のエクササイズは自己批判に浸かっている人ほど効果があるように私は思うので興味がある方は本を購入して著者の思いやりあふれる手紙のエクササイズを堪能してみてください。本を読むのが苦手な人でも第Ⅰ部の1章という序盤に収録されている内容のため比較的取り組みやすいものだと思います。

ではセルフ・コンパッションの根幹である第Ⅱ部に参りましょう。



◆第Ⅱ部 セルフ・コンパッションの核となる構成要素

第Ⅱ部はそれぞれ、
◇第3章 自分に優しくする
◇第4章 誰しも経験することだと知る
◇第5章 現実に対してマインドフルでいる

のタイトルが付けられており、各章でセルフ・コンパッションの核となる構成要素について丁寧にまとめられています。第Ⅱ部はとても重要な部分で分かりやすく紹介したいのでまとめて3章分連続で要点をまとめていきます。

第Ⅱ部での要点は、

セルフ・コンパッションの核となる構成要素
自分に優しくすること
エクササイズ「ハグの練習」
共通の人間性を認識すること
マインドフルネスであること
セルフ・コンパッションの3つの入口
エクササイズ「セルフ・コンパッション日記」

となります。
単元のひとつずつを細かく見ていくとそれに関連したより詳しい内容が記載されていますが大きく内容をまとめるのこのようになっています。上記の内容について簡潔にまとめることで、セルフ・コンパッションとは何かについてご紹介させて頂こうかと思います。
それでは最も重要な第Ⅱ部の解説に入ります。

📌セルフ・コンパッションの核となる構成要素

ずばり、セルフ・コンパッションの核となる構成要素とは、
・自分に優しくすること
・共通の人間性を認識すること
・マインドフルネスであること

の3つです。

①自分に優しくする

この章で重要なのは、自分のことを激しく自己批判するのをやめて理解して認めること、そして容赦のない自己批判で自分が傷ついていることに気付くこと、です。行き過ぎた自己批判をすることで傷ついている自分を慰めてもいいんだと思うことセルフ・コンパッションの第一歩でもあります。親しい人が落ち込んで泣いてしまったりしている時に、私たちは優しい言葉で慰めるように、自分に対しても同じように優しく慰めてもいいのだと認めることが必要です。「こんなことではダメだ!」と自己批判をする前に、こんなことではダメだと気づいた自分の心の動きを認め、そしてその思いで苦痛を感じていることに対して優しく寄り添うことがセルフ・コンパッションです。
自分に優しくするためのエクササイズとして、この章では「ハグの練習」が収録されています。私たち人間の皮膚はとても敏感な器官で、身体的接触がオキシトシン(幸せホルモン)を分泌し、安心感を生み、ストレスを低減してくれるといいます。そのため、自己批判に気づいたら自分の体にハグをしたりすることが有効だと言います。

※実際にやってみて※
私自身、心身相関というような言葉が示すとおり、頭で考えるより体は正直だと思う節もあるので、こちらのエクササイズは理にかなっていますし、頭で考えるよりも思いやるという手段が身体的な動きとして実践しやすく、なおかつ簡単なので試してみる価値は多分にあります。転んで擦り傷を負ってしまった膝を優しく手のひらでさすって痛みをなくそうと試みるように、自己批判などで傷を負った心を包むように優しく自分に触れて慰めてみることを体験してみました。私はあまり寝つきが良いほうではないので、眠れない時は自分の手でもう片方の手の甲をさするということをして、気持ちを落ち着かせるなどして眠るようにしています。

②共通の人間性を認識すること

共通の人間性を認識する、とは、自分が体験したことは他者もまた体験することであり、自分が直面した問題は他者の人生の中でも起こり得ることだと理解することが重要、ということです。たいていの人は他者との共通点には注目せず、失敗したりした時の悲しい気持ちや恥ずかしいという気持ちで自己批判が起こり、そのような体験が自分だけではなく他者にも共通して起こり得る体験なのだという認識を捨て、世界で自分だけがこんなに辛い気持ちになっているのだ、という具合に認知を歪め孤独な道へと進んでしまうのだという。
例えば学校のテストの点数が良くなくて落ち込んでしまった友人に「次でがんばろう。気にすることないよ」と声をかけたり、部活動の大事な試合でミスをしてしまいチームの勝利に繋げることが出来なかった部員に「良くがんばったよ」と声をかけてそのミスを責めないこともあるでしょう。学校生活以外にも、社会人として人と関わったり家族と過ごす中で大きな失敗や小さな失敗は幾つも体験しますが、自分以外の人(他者)が落ち込んでいる時、このようなことは時折起こるものだと納得する場面があるように、他者だけでなく自分の落ち込みや自己批判の体験にもそれを当てはめていくのが共通の人間性を認識する、ということです。
第Ⅰ部で著者が言っていた『セルフ・コンパッションとは、自分の問題のほうが相手の問題よりも重要だと考えるということではなく、自分の問題も同じく重要であり、対応するだけの価値があると考えるということである。』という言葉の意味がここに繋がってきています。

③マインドフルネス

マインドフルネスとは、今この瞬間に起きていることをはっきり見て、判断を加えないで受け入れることを言う。著者はこれを「現実に真正面から向き合うこと」と書いています。自己批判の中で起こる判断というのは自分がとった行動や自分が直面した状況に対して良い・悪いと評価を下すということである。その判断を取り払って起こっている物事をありのままに受け入れる。それがマインドフルネスである。
自身が起こした結果が予想されていた結果に届かなかった時に、がっかりしたり失望したりといった心のダメージがあり、自己批判が強い傾向を持つ人であれば鈍器で殴られたような強く鈍いダメージを断続的に味わうことになるでしょう。あんなに悪い結果を残してしまって自分は情けない、というような結果の原因である失敗にばかり注目してしまう。例えば算数のテストの結果が良くなかったのは勉強をきちんとしなかったからだし、そもそも自分が頭の出来が悪くてダメだからだ、というような原因探しが良い例です。私達は自分の失敗した原因や欠点にばかり注目してしまい、苦痛を感じているという観点が失われてしまう。マインドフルネスを理解する上で重要な言葉で「メタ認知」という言葉があります。気づいているということに気づいているという状態がメタ認知です。先程の例で言えば、算数のテストの結果が良くなくて悲しい、ということを感じているだけでなく、その悲しいという感情が自分の中に生まれたことに気づいている、という状況のことを指す。自分は今悲しんでいるということに気づいている。そんな気付きがメタ認知ということになります。このような、いわば自分を俯瞰して見たような客観的な気づきを得られるようになると、自分の思考や感情と少し距離をとって、視野狭窄に陥っていないかを確認することができるようになるというわけです。

深紅の鳥が晴れ渡った青空を横切っていくところを想像してほしい。鳥は、私たちが体験している特定の思考や感情を表し、空は、その思考や感情をそのまま抱えているマインドフルネスを表している。鳥は、せわしなく円を描きはじめたり、急降下したり、木の枝に止まったり、といったことをするかもしれないが、空は平静なまま、いつもそこにある。自分はあの鳥ではなく、空だと思えば────言い換えると、気づきの中を通り過ぎていく特定の思考や感情ではなく、気づき自体に注目しつづければ、私たちはいつまでも平静を保ち、集中しつづけられる。

クリスティン・ネフ(2021)セルフ・コンパッション[新訳版] 
第Ⅱ部 5章 

マインドフルネスを理解していく中で本書の中でとても参考になった箇所です。壮大な青空の中に深紅の鳥という色の対比と、空と鳥という大きさの対比でとても分かりやすくしているところが素晴らしい文章です。
こちらには書かれていませんが、この空というのが人から見て身近なもの、常にそこにあり私たちを包んでいる空ということからセルフ・コンパッションの大きな柱のひとつである共通の人間性の認識という部分でも連想しやすいと個人的には思いました。鳥が空を旋回したり、餌である虫を捕まえたり、木に止まって休んだりといった行動はその他の空を飛ぶ鳥でも見られる共通のことです。特定の思考や感情を表す鳥が行う行動は他の鳥も生態として行っていること、という認識ですね。空と鳥のたとえを用いて考えると、よりマインドフルネスと共通の人間性の認識という二つの柱を理解しやすいかもしれません。

📌3つの入り口

このように核となる構成要素の自分に優しくする共通の人間性の認識マインドフルネスを理解することで、セルフ・コンパッションへ取り組むことができます。どれかひとつに取り組むことで他の二つにも取り組みやすくなると著者は説いています。どれから取り組むかという順番はその時の自分の状態によって如何様にも変化するが、どれかひとつの入口からセルフ・コンパッションに入ることで自己批判が生む痛みや苦しみを和らげることができるようになっていく。

こちらの章のセルフ・コンパッションに取り組むためのエクササイズには、この3つを理解した上でつける『セルフ・コンパッション日記』というエクササイズが用意されています。

📌エクササイズ『セルフ・コンパッション日記』

その日起こったことや起こったことに対する自分の感情を書き記し、その原因などもなんでも書き記していきます。

書き終わった後にマインドフルネスの観点から自分の感情に気づく視点を設けます。その時はその感情があったという事実だけを受け止め、判断の良し・悪しは加えません。

その次は共通の人間性の認識という観点から、自分の個人的な体験は客観的に見て他者も体験しうるものだという気づきを得ていきます。人間だから時折こういうふうに感情に振り回されることは起こる。人間だからヒューマンエラーは起こり得る。誰だって自分と同じ境遇であったら体験したことだ。といった具合に自分の体験や感情の動きが自分だけのものではなく人間ならば体験することだというふうに理解し、孤立を防いでいきます。

最後に自分に優しくするという観点から、自分に対して思いやる心を持ち、慰めます。自己批判をして苦しくなった自分を慰め、友人のように優しく寄り添う言葉をかけます。

※実際にやってみて※
私はこの日記を特に感情が溢れて自己批判に流されてしまう時に、見開きのノートの左側1ページに黒のペンで日記を書いて、右側のページに青のペンでマインドフルネス、共通の人間性の認識、という文字を書いて左側のページの対応する部分に棒線や波線を書き足し、こういう感情があって自分に失望してしまった、とか、でもこういう体験とか出来事っていうのは他の人も直面したことがあって悩んで乗り越えてきたことだよな、といった要素を書き出していきます。そして余った部分に自分に優しくするという項目を書いて総括して自分に優しい言葉をかける、といったことを実践しています。紙に実際に書いてみることで自分に起こった体験を客観的に捉えつつ書くことができて、こういう状況で苦しかったんだなというその時はマインドフルネスで気づけなかった心の動きというのも見えてくるため、セルフ・コンパッションを継続してやっていきたいと思う人にはかなり良い練習となります。私の場合、「〇〇対策しなきゃなぁ~」というポストをした時に、Xで相互になったばかりの人から対戦しませんか?とメッセージが来て、自分の中ではプラクティスで〇〇のキャラを触ってみて構えとか連携とか調べようという意味合いでポストしていたので、まさか「やりませんか?」とメッセージが来ると思っておらず、やんわりと断ったものの食い下がられて嫌だなぁ、1回断ったなら察してほしいなぁ…と思った挙句、結局その人のことはブロックしました。しかし、事は終わったはずなのにモヤモヤとした気持ちを1週間の長きに渡って悩み通してしまい、セルフ・コンパッション日記に書きました。その時は募集もしてないのに急に知らない人から対戦しませんか?と言われてしつこく食い下がられて嫌だったという気持ち、一度断ったのに下がってくれなくて空気が読めない人だなと思って結局ブロックしてお別れしてしまったという自分の立ち回りの下手さがまねいた結果に落ち込んでいました。ですが、このようなSNSでのやり取りはSNSをしている上では起こり得ることだと日記を書くことで気づくことができました。最初からキツイ言葉を使わず、マイルドに対応したことで逆に傷ついてしまった自分を思いやり、次によく知らない人から対戦の申し込みがあっても最初から「そういうつもりで発言していたわけではないので今回はごめんなさい」と返信を返して断ろうと書いて、ようやく私は自分を責める地獄から解放されました。




👊ここまで要約してみて格闘ゲームで応用できそうなことを考える

第Ⅰ部~第Ⅱ部まで掻い摘んでまとめてみました。

ここまで読んでの、格闘ゲームで活かせそうなことや試していることなどを解説していきます。
今回の第Ⅰ部〜第Ⅱ部で印象的なことといえばやはりセルフ・コンパッションの核となる3つの構成要素なのではないでしょうか?

①自分に優しくすること
②共通の人間性を認識すること
③マインドフルネスであること

3つからなるこの構成要素を、自己批判しがちな自分自身と格闘ゲームについてあてはめて考え方を改善していくとしたら、まず大切になってくるのは、格闘ゲームにおける共通の人間性とは何なのか?というところだと思います🤔

そもそも、格闘ゲームというのは学習成果が多く求められるジャンルのゲームであることは、周知の事実かと思います。

・格闘ゲームのゲームシステムを理解すること
・キャラクターを理解すること
・技を覚えること
・コンボを覚えること
・投げ抜けを覚えること
・確定反撃を覚えること
・強い行動を覚えること
・自分の使うキャラクターだけでなく相手の使うキャラクターを覚えること
・対応力を育てること

…などなど。枚挙に暇がないほど多くの学習の上に成り立ち、やればやっただけ、覚えたことを試合の中で反映できればできるほど上達が見える、というゲーム側から与えられた成果報酬ではなく自分が思う成果報酬によって楽しさが変わってくる。それが格闘ゲームの醍醐味のひとつと言えるでしょう。学校で勉強をし続けてきたり、ひとつのスポーツを長年続けることと似たような、終わりのない学習があるというのが格闘ゲームの特徴かと思います。

そんな格闘ゲーム、この記事では鉄拳になりますが、ゲームの中でプレイヤーの習熟度を測るひとつの指標として用意されているのが「段位」というシステムと言えるでしょう。2024年のゲーム発売時点での鉄拳8では段位ポイントの増減が存在する剛拳から、一番上の段位の破壊神までがあり、ランクマッチに潜ることによって、ある程度自分がいる立ち位置というものが分かります。このゲームでは過去のゲームでの戦績や体験版などでのポイントは関係なく、全員が「入門生」という段位からオンライン対戦が始まります。現在破壊神に行っている人も、その全員が入門生から段位を上げてきて勝ったり負けたりを繰り返して今の段位にいるというわけです。

その格闘ゲーム、鉄拳8における共通の人間性とは、今の自分の段位(習熟度)で経験したことはどんな段位の人でも経験しうること、もしくは経験しうる可能性が高いということ、と捉えることと言えるでしょう。
具体例を上げながら確認していきましょう。

👊格闘ゲームにおける「共通の人間性の認識」について考える

〜確定反撃編〜
例えば、分かりやすく三島系統のキャラクターの大型下段の通称「奈落」という技は、しゃがんでガードした時に相手キャラクターの足がガードしたキャラクターの足にぶつかり、大幅にガードされた!ということが分かるような動きになります。フレームで言えば-20F以上あることが多く、その時に自分が使っているキャラクターの浮かし技を瞬時に当てるという選択ができたら、これが最大の確定反撃となるというのは鉄拳をしている人は知っていることだと思います。しかし、私もそうですが、仮に奈落のような大幅に不利だよ!と動きで分かる技をガードできたとしても、ゲームの操作に慣れていない最初の頃は相手キャラクターに正確に確定反撃を返すことはなかなかできないものです。鉄拳に慣れてきた人でも、場合によってはコンボ始動技が入る技をガードしたのにダメージが少ない技でしか確定反撃を返せなかったり、はたまた返すことができない、ということがあるのは日常茶飯事かと思います。自分の段位に関わらず、確定反撃のミスというのはどこの段位でも起こり得ることなのだと共通の人間性として認識するのが大切です。

〜コンボ編〜
例えばコンボをしている時。自分がプレイしている時もそうですが、プロの配信や大会の配信などを観ている時、いつもはミスしないはずのコンボが状況によってはミスをして落ちてしまうことが時々あります。特に大会などの普段よりも緊張を感じやすい中ではこのような現象はよく見られ、実況席などでも驚いたような声が上がることも多いです。大会で活躍しているような選手は多くが以前から鉄拳というゲームをしていてランクマッチの中でも最高段位にいることが多いですが、それでもコンボなどのミスをすることはあります。プロや選手も人間なのだから状況によってはミスをすることもある、という事実を思い出させてくれるので、ここでもまた共通の人間性を認識できます。

〜割れない連携・強い連携編〜
鉄拳にはキャラごとにある技をガードさせたりヒットさせたりしたときのフレームを利用して割れない連携を作って立ち回りをしたり強い連携を使って読み合いを回したりすることがあります。その中で、初心者によくあることでは割れない連携の中で自分のキャラで手を出してしまってカウンターをもらってしまいコンボをされてしまったり追加ダメージを多くもらってしまうという場面が多々あるかと思います。鉄拳の知識が高まっていくとそのような割れない連携には対処方法があることが分かってくるかと思います。
例えば強い連携だとアリサのチェーンソー中の6LPのガード後の連携などがあります。
チェーンソー中6LPは相手にガードさせると+3Fなので、発生11Fのチェーンソー中6LPをもう一度出すと手を出してきた相手にヒットするので、相手側はそのまま手を出さずにガードで耐えるか、上段技という特性を知っていればしゃがんでやり過ごしたりができます。
チェーンソー中6LPガード後の同じ状況で発生13Fのチェーンソー中LPをすると発生10F以外の技と相打ちか、11F以上の発生フレームの技だと割れない連携となって大ダメージを与えることができます。その代わりキャラによっては左横移動で技自体を躱すことができるため大きな隙となったり、…など、対処方法を知っていて相手の次の技打ちを読めたらやり過ごすことができるかもしれない連携です。こうした細かいフレームや相手の技の特性などを知ることによって段々と、この例ではアリサですが、その相手キャラクターへの勝率が上がっていったりするわけです。こうした学習したスキルというのは学んで理解して実際にやってみないとできないことなので、学習と練習があって初めて発揮出来るものです。その為、そういった細かなキャラクターの対策というのを段位が高い人ほどやっていて、それによってより高い段位に上がっているという側面があります。そうした学習と練習の上にスキルがあり、習熟度と共に段位が上がっているということを覚えていれば、これもまた誰もが通る道なのだと認識できるでしょう。

〜よくあるミス編〜
例えば私はリー使いなので2LKのカウンターヒットの時に4LKLKという技でつないでコンボをするのですが、タイミングをミスしてヒットマン中のLKのスキャンキックなどに化けることがよくあります。この時点でリー使いの方はそういうことは本当に本当に本っっっっ当によくあると首を縦に振って下さるし、どう練習しても状況によっては逃れられないミスであるということを理解して下さることと思います。
キャラクターによってよくあるミスというのは多岐にわたりますが、どのキャラクターにもあるあるな状況やあるあるなミスというのは存在しています。そういったミスを自分の友達がした時は、おそらく大半の人はこの友達に「分かるよ、このミスあるよね」と言ったり「仕方ないよ」と言ったりと共感し寄り添うような思いやりのある言葉をかけるかと思います。このキャラクターを使っている上ではこういうことはよくある、他の人たちも経験しているし共感もしてくれることだ、と知っていると共通の人間性を感じやすいかと思います。

〜昇格戦・降格戦編〜
ランクマッチを行っているとよくあることですが、勝ち負けによって昇格戦になったり降格戦になったりします。昇格戦でようやく次の段位に上がれるー!と思った矢先に負けてしまったり、降格戦になってなんとかしのいだり、はたまたしのげなかったり、…など、経験したことがある人は多いかと思います。SNSなどを見ていると分かりますが、人によっては何度も昇格戦を逃してしまった末に昇格したと言っている人もいれば、降格戦を防ぐことしかできないと停滞の苦しみを味わっている人もいますし、ポイントによっては降格しては昇格を繰り返すという際どい位置でランクマをしている人などもいます。自分で対戦していても相手が昇格戦や降格戦になって光っている時があるように、皆勝ったり負けたりという局面で緊張したりその結果で一喜一憂したりということは当たり前にあることです。これは鉄拳に限らずランクマッチやポイントがある格闘ゲームではあるあるなことだと思います。悲しむ必要はないとは言いませんが、昇格戦や降格戦で感じた自分の高揚感や自分への落胆などといった感情は誰もが感じることで、もっと言えば人間なのだから当たり前に感じることなのだと忘れてはいけません。特に昇格戦よりも降格戦の時に負けてしまったりした時は、誰もが経験することだと認識するとクッションになってくれるかもしれません。


いくつか例を挙げましたが、共通の人間性の認識についてはこのような感じかなと思います。私の場合は鉄拳7を始めた時にX(旧Twitter)で同じくリーやラースやアリサを使っている方と相互になることができたり、オフ会や大会などで同じキャラ使いの人とお話をする機会が多いこともあり同じキャラを使うがゆえの悩みやよくあるミスなどの共有が進んでいたため、共通の人間性を認識するということを考える時に躓くことなく考えることができたな、と思います。鉄拳8現在はDiscordサーバーなどでリー使いの集まりに入っていたりするので「こういう悩みがあるのですが、皆さんどうしてますか?」ということを気軽に訊くことができたり、そういった人の悩みや質問などを又聞きすることもできたりするのでとても有意義な形でリー使いの方々と繋がっているなと思います。(Discordを立ち上げて下さりいつもエクセレントかつマ〜ヴェラスに情報を発信して下さる皆様本当にありがとうございます🌹)
鉄拳はひとりで取り組むにはなかなか難しいこともあるため、XなどのSNSなどを利用したり、Discordを開放しているところへ入ってみて同じキャラ使いの方を探したり、Discordで開催している同キャラのプレマ会などに顔を出してみると、よりそのキャラクターのことを深く知れたりもするので、同じキャラで繋がりを作ってみるとより自分ひとりだけが悩んでいるわけではないと分かると思うので必要があれば勇気を出して入ってみてください💪

👊格闘ゲームにおける「マインドフルネス」について考える

マインドフルネスというのはこの記事のまとめで書いてある通り、『今この瞬間に起きていることをはっきり見て、判断を加えないで受け入れること』となります。著者のネフ氏はこれを『現実に真正面から向き合うこと』と書いています。

私はこの記事の冒頭で自分に対する自己批判の言葉として「これができてない!」「あれもできてない!」「そんなこともできないの?」「どうしてできないの?」などといったことを投げかけていますが、これはマインドフルネスとは逆のことで、これは良い・悪いの判断を加えた状態で事実を見て受け入れていない状態だと言えます。確定反撃を返せなかったことに対しては、「浮くって分かってるのにどうして確定反撃を返すことができないんだ!全然ダメじゃん!」というような感じで自己批判しがちです。コンボの失敗に対しては「なんでこんなこともできないんだ!」と、悪い所を感情を荒げて批判しているのが常でした。

これではマインドフルネスとは言えません。

このような自己批判をした事実をマインドフルネスとして捉えるとしたら、確定反撃編では「相手の技をガードしたから浮くという事実があったけど浮かせることができなくて悲しいと思ったなぁ(ということに気づいた)」とか、コンボ編では「コンボ失敗しちゃって悲しいや(ということに気づいた)」というような認識が必要です。

そこに良し悪しの判断は必要なく、ただその事実がある、自分の中にはこんな感情がある(ということに気づいている)という認識がマインドフルネスの入り口となります。

私は自己批判をする人生しか送ったことがないので、激情しやすい自分の心を客観視して実況するようなことは瞬時にはできないのですが、こういった良し悪しの判断をし続けて自己批判してきた習慣があるからこそ難しいのではないかなと思います。実際に試合をしている最中などは自分のミスに対して悲しい悔しいという気持ちは比較的分かるけれども、そういう感情があるという事実に気づいた、というメタ認知、あるいはマインドフルネスの立場から自分の感情を俯瞰して見るのはなかなか難しいです。

マインドフルネス、メタ認知の他に、私が本書のマインドフルネスの章を読んでいて浮かんだ言葉がありました。
それは「離見の見」という言葉です。(※りけんのけん)

📌離見の見

学生の頃の国語の教科書に出てきた言葉で、日本の伝統芸能である能についての話の中で出てきた言葉でした。

意味は、『世阿弥が能楽論書「花鏡」で述べた言葉。演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のこと。反対に、自己中心的な狭い見方は「我見(がけん)」といい、これによって自己満足に陥ることを厳しく戒めている。現在でも全ての演技にあてはまることとして演者に強く意識されている。』とのことでした。(参考webサイト↓)

要するに、自分のことを客観視する、という意味で、この言葉がマインドフルネスやメタ認知の認識をかなり確かなものにできるかなと思いました。
私は学生の頃に剣道部と演劇部を経験してきたので馴染み深い状態でした。剣道では昇段試験の時に型を見られる場面があるため、自分の動きがお手本や求められる動きと比べてどうなのかということを自分の動きを客観視しながらよく意識して練習していました。というのも道場の中で練習していたため、常に鏡が設置されている場所で練習することができなかったために自分のことを客観視しながら練習するということをせざるを得なかったからです。演劇では同じ劇を繰り返し公演に向けて練習するため、時々ビデオに撮って見返したりするのですが、毎度ビデオに撮って見返すということが今よりも気軽でなく難しい手段だった為、自分の演技は客席側から見たらどう見えたり聞こえたりするのかと考える場面が多かったので離見の見を意識して取り組んでいました。
こういった日常の中に隠れた離見の見を思い出しながらマインドフルネスに取り組むのもひとつの手だと感じました。
要約の中で紹介するとネフ氏の伝えたいことからズレてしまうのでこちらでの紹介となりましたが、離見の見に馴染みがある方は参考にして頂ければ幸いです🙇‍♀️

離見の見の説明の中に『反対に、自己中心的な狭い見方は「我見(がけん)」といい、これによって自己満足に陥ることを厳しく戒めている。』と書いてありましたが、まさに私が冒頭で自分の行動に対して良し悪しの判断を下して感情を爆発させていたのはこの我見になりそうですね。世阿弥が活躍していたのは1300代のことなので今から700年ほど前の話ですが、世阿弥が残した言葉は現代にも通じるものが多いので、こちらの意味を調べる際に参考にしたサイトですがとても勉強になるので同じサイトの違うページも置いておきます。こちらのページではこの離見の見を実践するにはどうしたらいいの?自分の後ろを見るのなんて物理的に無理じゃん!という質問に対する世阿弥の回答なども載っていてとても興味深いのでオススメです。


👊格闘ゲームにおける「自分に優しくする」について考える

本書のなかで3つの入り口と題した章の中で、セルフ・コンパッションに取り組む上で①自分に優しくすること②共通の人間性を認識すること③マインドフルネスであることのどれかひとつに取り組むことで他の二つにも取り組みやすくなると著者が説いているように、ここまでで、格闘ゲームにおける「共通の人間性の認識」と「マインドフルネス」についての解釈から最後の「自分に優しくする」という大切な要素についても考えやすくなっていることかと思います。私自身セルフ・コンパッション日記でセルフ・コンパッションに取り組む際には先に共通の人間性を認識した後にマインドフルネスで事実確認をして受け入れ、その二つを挙げた上で最後に自分に優しくするという段階について書くことが多いため、「自分に優しくする」の段階を最後に持ってくると自己批判しがちな人は分かりやすいかなと思います。

確定反撃を返せなかった、という場面があったとしたら、

共通の人間性の認識の観点から、「誰でも咄嗟に、しかも正確に確定反撃を返すことはできないことはある」と考え、

マインドフルネスの観点から、「確定反撃を正確に返せなくて悔しいし悲しい(という感情が出たと気づいた)」
と考え、

最終的に自分に優しくするという観点を織り交ぜて、「今私はこの確定反撃を返せなかったという事実で苦しみを感じているけれど、こういったことは誰にでもあることだし、プロでもミスすることはある。今回は確定反撃を返せなかったという事実を受け入れて、次回同じことがあったら浮かせることができるように練習して繋げていこう。ガードしたら浮くという事実を知っていて自分のミスに気づいたことも立派な成長だよ」
というような感じで、セルフ・コンパッションの3つの構成要素全てを合わせた自分を傷つけず思いやる言葉をかけることが格闘ゲームで自己批判しがちな人には必要なのかなと思います。

私自身が理屈っぽい性格であるため、ひとつひとつの要素を拾って語りかけるようにしていて、長すぎるわ!と感じるくらいの思いやりの言葉ではありますが、自己批判でめった刺しにされてズタボロになって自暴自棄になっている気持ちをどうにかして思いやるには、私にはこれくらい長めな言葉をかけて寄り添ってあげないと頑なすぎる気持ちをなだめて立ち直る力に変換することができないと思うので長すぎるくらいでちょうど良いのかもしれません。
試合中にこんなにも長く3つの構成要素からセルフ・コンパッションに取り組むことはほぼ不可能に近いので(←)「(今のミスは)仕方ない!」とか「(完全二択の負けは)仕方ない!」とか「(自分の中に悔しい・悲しいという気持ちがあると)分かってる!」などの短い言葉をかけて取り組んでみたり、試合が終わった後に一息ついてセルフ・コンパッションに取り組むのが良いかなと思います。長く鉄拳をやってる人の配信だと割とこういうことを自分に対して言う人も多いので、自己批判しがちな人はその部分を参考にしながら配信を観てみてもいいかもしれません。

前回の記事の中で『緊張しやすい人向けのランクマルーティーン』を図を用いて紹介しましたが、あれはセルフ・コンパッションを読んでみてから自分にしっくりくる方法を考えた時に思い浮かんだもので、自分の直前の試合で起こったこと、試合の中で失敗したことや相手キャラのことを知らなかったことを事実としてマインドフルに受け止め、共通の人間性を認識し、そして自分を思いやるという時間を確保するために2先ひとつとして試合を一旦区切っているという側面もあります。合わせてご参考になればと思います。


~Part①を終えて~
最初は今回の記事でセルフ・コンパッションの全てを要約するぞ!と意気込んでいたのですが半分ほど要約した時点で1万字を超えてしまった為、自分で読み返すにしても大変読みにくいに違いない!!と感じたので第Ⅱ部で区切らせて頂きました🙇‍♀️
区切っても格闘ゲームに応用するセルフ・コンパッションの解釈を含めたら既に2万文字近くになってしまっている上に本の要約という真面目な話もしているので絵文字を使うところもかなり絞っているため視覚的にもかなり読みにくく作ってしまったかと思います。ただ、セルフ・コンパッションで特に大切なのはこの第Ⅰ部~第Ⅱ部であるので一旦ここで大きくまとめておくのがいちばんいいかなとも思います。
第Ⅲ部以降の内容は次の記事でまとめようかと思います✍️

自己批判に苦しみながら格闘ゲームをしていたりする人の一助になればと思いながらまとめてみました。興味がある方は是非クリスティン・ネフ氏のセルフ・コンパッションを読んでみてくださいね📖


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