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節分からの視点 by. 木森林林
『節分』
節分とは
旧暦では大晦日とされ
翌日の "立春" が元旦とされている
各地では多くの行事や逸話があり
豆蒔きや恵方といった
主に東洋の思想が伝統として残っている
節目を分ける日として厄を断ち切り
節分から立春へと向かう様は
現代の太陽を基準とする新暦とは
また少し異なる様相をみせる
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- 旧暦と新暦 -
古くから東洋では旧暦が用いられ、
現在では新暦として一般的な暦は変更されている。
旧暦は月の満ち欠けにより判断され、
今もその名残りは日々の生活に残っている。
節分を含め
七夕やお月見などの夜空から受ける影響は、
現在の新暦が太陽を基準にしても昼と夜がある以上
どちらも活かすべき存在なのかもしれない。
ではナゼ旧暦から新暦に統一されたのか。
それは "人間の生活" を統制するため
と言っても過言ではない。
これはワタシの視点に過ぎないが
決して支配的な意味ではなく、
日本における12カ月の枠組みや
"風物詩" という社会的な流れを暦とする以上に、
太陽を基準に西洋の暦や風習を習慣にすることで
東洋の月を基準とした周期以上に得られるナニカがあったのだろう。
少し掘り下げると、
人間の食を担う農作物を主軸に生きるには
『四季の変化』が重要になる。
旧暦を数える上で月の "満ち欠け" が基準となるが、
おおよそ10年程度で四季に大きなズレが生じる。
過去にはそのズレを19年に7回、
1年を13カ月にする『閏月』で調整をしていた。
さらに地上から見る太陽の軌道を
24等分した "二十四節気" を使い、
農業で重要な「四季」を認識していたわけだ。
新暦では太陽の昇る高さを基準にする事で、
四季の巡りは旧暦ほどズレる事はなく
多くの地点から地球視点での恩恵を得る事できたようだ。
- 節分からの視点 -
暦とは前述のように、
本来の人間が生きるために必要な"生活" を維持するために、
数学的且つ地球視点での宇宙規模で得られるモノを言語化したカタチといったところか。
そこに人間同士がより健全な繁栄を望み、
新たな社会的な外的要因が働き、
現代では多くの行事や云われが伝わるようになったとワタシは考えている。
そこには歴史を遡る上で、
人間的な欲求から多くの対立や争いもあり
『節分の "豆蒔き"』もその一つのように視える。
"鬼" と "福" が外と内に分かれる様子も
坂道が見る角度によって上りと下りになるように、
視点によってその印象は
本来であれば大きく異なるはずだ。
これらの行事や云われの本質は、
どちらの視点を有するか。
そして『どちらの視点も存在する』という
古くからの叡智の様にも解釈できる。
両者の働きは
東洋思想の陰陽太極図のように白と黒に別れてはいるが、
各々に内包されている異なる色もこれらの働きを意味しているのではないか。
商業的な分野にはなるが、
西洋文化としてのバレンタインデーも
後にホワイトデーができることになったように、
女性から男性へ向けるのであれば
男性から女性へも必要である
という "本能的なバランス" が自然発生的に生まれたようにも思える。
これは社会的な商業分野での理由はあるだろうが、
いずれにせよ一方的な偏りはどこかを境に
平等な働きが作用するようにワタシは考える。
大晦日という終わりがあれば、
元旦とされる始まりが来るように
暦としての捉え方が東洋であれ西洋であれ、
どちらにも同じ "目には見えない働き" が各々の中に芽生える仕組みは皆に共通しているように思う。
そしてこの視点を日常生活に浸透する上では、
暦を元にした各地の行事や云われも
古来の先人達が残した壮大で有益な叡智なのかもしれない。
- さいごに -
ここまで見てくださりありがとうございます。
今回は2月3日の『節分』が2025年は2月2日ということで、
室町時代から続く “古式追儺式” に参加しました。
そこで得た学びと、
行事としての云われや暦を元にワタシの視点で記事にしました。
"節分" は旧暦では「大晦日」ということで、
暦や本来の云われを学んで以降は新暦の年末年始のように
節分から立春にかけて新たな気持ちで過ごすようにしています。
太陽も月もワタシ達はどちらの恩恵も受けており、
暦としての基準もどちらの良さもあると感じます。
善と悪や良い悪いという視点でみても、
昨今では様々な部分で二極化される傾向にありますが
各々の役割による必要性を考えるキッカケが、
より大きなスケールで暦や古くから伝わる行事には秘められているように思います。
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木森 林林(Rinrin Komori)