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誰にもあるベストポジション

人にはベストポジションってものがあるのだろうか。

家族で食卓を囲む時は、それぞれの椅子が決まっていて、決してシャッフルすることはない。

恋人どうしが並んで歩く時は、例えば男性が右、女性が左と、自然と決まってしまう。

ぼくは毎朝乗る通勤電車の車両が決まっている。

必ず同じドアから乗り込み、同じ位置の吊り革を持っている。

違う車両に乗ろうと思うことがない。

人はいつもの定番の位置にいることで落ち着くのだろうか。

それともややこしいことにならないようにルール化して、ただそれを守っているだけのことなのだろうか。

ぼくはその両方だと思う。

家族の食卓を囲む位置が決まっていなければ、毎回位置決めをしなければならないし、料理の量も子供と大人で違うから、お母さんは毎回料理を盛ったお皿を置く位置を確かめなければならない。
面倒臭い。

それに食事中と言わず、会話には各自の役割とリズムがある。

それにはいつもの位置にいつもの人が座っていれば、会話を回しやすい。

だから当たり前のようにいつもの席に座る。

恋人たちは二人だけの世界にいる。

並んで会話をしたり手を繋いだり・・・、常にコミュニケーションを図っている。

必ずそこにいてくれる人・・・、この"そこ"だ。

"そこ"は恋人たちにとって特別指定席のようなもの・・・、なのだろうか。

ぼくの毎朝の通勤電車については話が少し違う。

満員電車が嫌なので、比較的空いている車両を探したら、その車両だった。

しかし、毎朝ぼくの指紋がしっかり付いているほどに同じ吊り革を持っている。

その吊り革に対して何の思い入れもない。

その位置から見る車窓越しの風景が好きな訳でもない。

しかし、なぜか吸い寄せられるように、その位置へと体が動いていく。

ルーティンっていうやつだろうか。

何か違う位置に立ってしまったら、会社に行って良からぬことが起きる、そんな恐怖観念があるのだろうか。

とにかくベストポジションってものが誰にでもあるようだ。

生活の中に安心感を求めるからこそ発生するものであって、それが心の平静を象徴していることは間違いない。

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鈴々堂/rinrin_dou@昭真
小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。