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「親切じゃない人」ほど、接客業をした方がいい。

ある日、目の前でハンカチを落とされた方がいた。

拾って返せばいいんだけど、当時の私は家にこもってばかりの引きこもり系人間で‥。

ハンカチを拾わなきゃと思っても体が動かず、「誰か親切な人、気づいてくれ!」と念じるばかりで、一歩も足が出なかった。

結局、気づいた小学生女子が拾ってその人に渡してくれて、私はなんとなく自分が情けなくなったものだった。

また別のとき、おじいさんが突然、道路の向こう側で転んだけど、私はなんとなくいろんなことを考えて怖くなってしまい、その人に声すらかけずにその場を去ってしまった。
そのあと、親切じゃなかった自分に、自己嫌悪。

人としての親切心を問われるシーンは、このように突然に訪れる。
自分に親切心がないわけではないのだけれど、こういうときに素早く動けるかどうかは、本人の親切心とはまた別のスキルが必要なように思う。

しかし接客業をしていると、こういうときに親切に動くモードが素早く発動する。

このあいだ、仕事終わりにスーパーに行くと、おばあさんが店の外でカートの荷物を自転車に積んでいるうちに、カートが坂道を下り始めた。
「ああー」とおばあさんは言うが、自転車の荷物から手を離せない。
私はとっさに走り出し、道路に飛び出そうになっていたカートを捕まえて、「これ、戻しておきましょうか?」と言って、カートを戻してあげた。

おばあさんにはとっても感謝され、私も嬉しかった。

ちょうど接客の仕事終わりだったので、私の中の「接客モード」がビンビンだったから、すぐに行動できた。
家から出てきたばかりの「ぼんやりモード」のときなら、こんなに素早く動けなかったに違いない。

接客終わりの私は接客モードが全く切り替えられておらず、立ち寄ったスーパーのトイレ掃除の人にも「いつもありがとうございます!」と挨拶したり、なんか妙に積極的な親切人間になれる。

このモードだと、目の前で何か落とした人のものをすぐに拾ったり、ゴミを拾ったり、陳列を戻したり、なんだか妙にいろんなことに親切になれる。

だけど、家に引きこもっているときには、どうもそういうことをするのに消極的になってしまう。

フードコートなどで人に水を持って行くかどうか、なんて些細なことひとつとっても、自分のモードによって対応が変わる。

接客の仕事をしているときの自分は、何も言わずに連れに水を持って行くことができる。
だけど引きこもりモードのときには、「持って行った方がいいだろうか。いや、水がいらない人もいるかもしれない」などとあれこれ考えてしまって、何もできなくなる。

どちらも私だが、動ける時に会う人には「親切な人」と思われるが、そうじゃない時には親切な人とは思われない。

親切とは、親切心があるかどうかではなく、その親切な行動ができるかどうかに、かかっていると思う。

どんなに中身が親切な人でも、なんの行動もできないと、その人は親切ではないと思われてしまう。

しかもそれは、とっさの反射神経なのだ。
数秒のうちに、反射的に親切は行われなければならない。

そしてそれは、接客業にて訓練することができる。
接客中は常にお客様に気を張っているので、とてもいい「親切な人」訓練になる。

私は、自分は親切じゃないし、うまく人のために動くことができない、なんていう人ほど、接客をした方がいいと思う。

「親切」は、反射神経。
訓練によって得られるスキルなのだから。

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