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趣味がTODOに成り下がる


最近のme


生きづらいとも違うけど、何かから逃げているような、生き急いでいるような


時間と体力は有限


この言葉を自分の行動に制限をかけるシートベルトにしてしまっていた


今日はどの地を踏みしめるのか


趣味;目的・目標達成を目指しているわけではない、ただそれを楽しめる行動

と定義する


・美味しいごはんを味わうこと
・カフェで過ごすこと
・本を読むこと
・五感を研ぎ澄ませて散歩すること
・noteを読むこと
・noteを書くこと
・最近行けてないけど岩盤浴で気ままに過ごす
・お笑い番組やよしもとの配信ライブを観る
・こうやって自己分析をすること

(趣味にお金をかけるか否かはまた別の話題だね)

自分、趣味たくさんあるじゃん


でも、なんか最近これらがTODOになっていたなぁ


趣味の時間、しあわせだなぁと感じながら過ごしたい
だけど休みの時間を過ごすための手段みたく捉えてしまっていた

なんでだろう

社会人1年生、1人暮らし1年目、
休みがあっという間に過ぎていくこと、
先の見えないキャリアへの不安、時間の尊さ、

晴れたし洗濯を、連勤に備えて冷凍ご飯のストックを
その箇条書きに趣味が紛れて、

明日の休みはこれをしよう、これを済ませておこう

したいことリストが、
今のうちにしておこうリストに
今のうちにしておくべきことリストに


読み返した


自分の人生全てが仕事だとは思っていない

どうやら人生を豊かにするための手段としての仕事、私生活という考えが染み付いているらしい。
だから、仕事をしない休みの日も予定や成長のようなもので埋めようとしてしまう。

趣味とは、何の役にも立たなかったとしても、それ自体に夢中になれるもの?


全ての事象を自分の役にたてるため、
自分の人生を豊かにするために、

という考えが染み付いてしまっている今の私は、


何もしない 
何も目指さない
がとても難しそう


趣味のはじまり

そもそも趣味なんて、私の役に立っているから続くものだ

1人暮らしして読書熱が再燃したのは、
部屋の静寂を埋めるため
食べることが好きなのは、
実家で家族と楽しく食卓を囲っていた経験がベースにあるから
岩盤浴に行くと、
強制的にスマホから離れてリフレッシュできるから


何かの目的のためにそれをするのではなくそれ自体を楽しむ、
コンサマトリー(自己充足的)

コンサマトリーには程遠い。

特に歩くことはどこかに行くためのインストゥルメンタル(道具的)になりやすい。要注意な趣味らしい。

食べたいと罪悪感の狭間で


なげき



真面目に努力できる自分が好きだし、そうやって生き延びてきた
いわば私の生存戦略だった

でも最近の出来事が私に語り掛けてくる

もっと自分を緩めよ

いや、どうやって?
愚直に泥臭くても、いい子でいることで
社会での居場所を確立してきたような自分だから、

諦めることが大切を守る方法だと頭では分かっていても

いつまでも自分を救うことが下手な人生23年目


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