私たちが求める安らぎの"居場所"とは─────「ヒューマン・ポジション」
そっと寄り添う
ゆっくり生まれ変わる ─────
「ノルウェーで最も美しい街」と呼ばれるフィヨルド(入り江)に囲まれた街・オーレスンを舞台に、居場所を求める主人公がある答えに辿り着く姿を描く『ヒューマン・ポジション』。
"世界で最も美しい国"と称されるノルウェーに暮らす人々の居場所は、果たしてどこにあるのか?
静かに、私たちへ問いかける。
監督・脚本・編集を務めたのは、ノルウェーの新たな才能であるアンダース・エンブレム監督。
長編2作目の挑戦となる今作は、故郷ノルウェー・オーレスンの美しい街並みや街に住むカップルの生活を映します。
長編デビュー作『HURRY SLOWLY(原題)』と同様、夏のノルウェーが舞台。厳しい寒さが長い間続く冬とは異なり、陽の光が温かく差し込み、幻想的な白夜が夜を包み込む貴重な夏。その夢のような時間が、人々に生命力を与え、希望をもたらす。そんな素晴らしい季節に焦点を当てた映像美に、うっとりとしてしまいます。
STORY
薄明かるい白夜が青のグラデーションを帯びて朝に変わるように、アスタの心がゆっくりと変化していく模様を見つめる今作。
今までのヒューマンドラマにない、真新しくも慣れ親しんだヒーリングスロームービーとなっています。
アスタの心はどう変化していったのか?
この作品のテーマでもある"居場所"に絡めながら、紐解いていきます。
①"居場所"を失う
物語は主人公・アスタの物憂げでブルーな様子を追うところから始まります。
病気療養から社会復帰するという喜ばしい状況に思えますが、彼女はどこか不安げで哀愁を漂わせています。まるで、社会というレースから離脱してしまった自分へ、不甲斐なさを感じているように。
非常勤扱いで会社に復帰したシーンで、アスタは自身のデスクから離れた席に座る同僚たちを見つめます。同僚たちは、向かい合わせのデスク越しに意見を交わしながら仕事を進めていました。
おそらく、アスタも以前は同じように同僚たちと仕事を進めていたのでしょう。
以前のポジションを失った喪失感や、新たに社会の中で築きあげなければいけない焦りやプレッシャーを感じている彼女の姿が見て取れます。
そんなアスタの様子を隣で見守るパートナーのライヴは、集めたデザインチェアーを修理しながら、ピアノで作曲をしたり、ボードゲームで遊んだり、家の中にある身近な娯楽を楽しんで過ごしています。
アスタは日常の中で唯一、ライヴと過ごす時間はリラックス出来ています。しかし、寝室、キッチン、リビング、自宅の様々な場所にいるアスタの表情はどこか落ち着かない様子……。
喪失感に囚われるアスタ。そんな彼女の心境に寄り添っていくライヴ。私たち観客も、2人の日常を静かに見守っていきます。
②"居場所"を探す
とある日、アスタは自身が勤める会社の新聞に小さく取り上げられた記事が目に留まります。
それは、街の水産加工工場が労働法違反を受け、従業員である難民の"アスラン"という男が強制送還されてしまったという事件でした。
アスタは早速、記事を担当した記者に連絡を取り、事件の詳細に迫っていきます。
アスランの勤め先だった水産加工工場、難民の一時的な保護や受け入れを行う支援団体、市役所……アスタは、あらゆる関係性のある場所や人物を尋ねていきます。
何故、彼女はそこまでして、自分と無関係に思える難民の行方を追うのでしょうか。その理由は、アスランが勤めていた水産加工工場を訪れるシーンにあります。
アスタは、アスランと同僚だった社員に聞き込みを行っている際、工場の外に乱雑にまとめられた廃棄物が目に留まります。その中にあった椅子を買い取れるか社員に確認すると「どうせ廃棄物になるものだから」と無償で譲り受けることになります。しかし、それは以前アスランが昼食時に使用していた椅子でした。
偶然にせよ、アスランが工場内の"居場所"にしていた椅子を持ち帰ることは、自身と同じように社会の中で居場所を失った難民たちに寄り添いたい感情が表されているのだと思います。
また、彼らが何処へ行き、どうやって新たな"居場所"を見つけるのか。境遇を自身に重ねて、彼らの行末を知りたかったのかもしれません。
③"居場所"を見つける
結局、どこに訪ねてもアスランの行方や、ノルウェーに来た経緯等は分からないままでした。
アスタは、アスランの行方を追う中で、段々と社会の冷たさと自身の無力さに気づいていきます。
彼の行方は会社、市、支援団体でさえも把握しておらず(規定等で口外することができなかったり、そもそも難民の情報は市単位で管理がされていなかったり)、国籍を持たない難民の居場所を作るハードルは、想像以上に高いことを知ります。難民を受け入れる市に関しては、あくまで政府判断の指示に従うのみで「支援」という仕組みはお飾りに近いものだということも。
アスタは記者としての無力さを感じるとともに、難民受け入れを行う国の仕組みについて、小さく失望し、悟るのです。
ライヴは、そんなアスタの懸命にアスランの行方を調査する姿を、そっと見守っていました。そして、常に彼女に寄り添う言動を捧げ、小さな笑顔を与えていました。
ある日、アスタは家の中に飾られた椅子のデザイン画と同じ椅子を誕生日プレゼントとしてライヴへ贈ります。
大喜びするライヴは「私も贈り物がある」と、完成した曲をアスタに向けて贈ります。
その曲の歌詞に込められたのは「あなたがいれば、それだけでいい」という愛のメッセージ。
アスタは曲を聴きながら、涙を堪えるような笑顔でライヴに感謝を伝えます。きっと、難民の人々がどれだけ厳しい境遇にいるかを知るとともに、日常に彩りを与えてくれる愛するライヴとの生活こそが、自身の居場所であると気付いたのでしょう。
安らぎを求めノルウェーへと逃げてきたアスランは、ノルウェーという国でもその"居場所"を奪われ、祖国へと送還されてしまいました。
そして、一時的に社会を離れたアスタもまた、自身の"居場所"が見つからない中、ライヴと過ごす生活へと戻っていきます。
社会で生活する上で何者かになり、自身が属せる居場所を作らなければいけない圧力は、きっと誰しもが無意識に感じていることでしょう。
そんな中で、何かしらの理由があり、社会に居場所を作れない人々は想像以上に、社会から冷たくあしらわれてしまいます。
しかし、そもそも私たち人間が幸せに暮らす上で何故、社会的な地位や場所が最重要視されなければいけないのでしょうか。
私たちが人間らしく、愛する人や物と暮らし、幸せでいれば、それでいい。自分が何者でもいい。わざわざ、何者かにもならなくてもいいのです。
この映画には、沢山の椅子が登場します。
劇中にライヴが言っていたように、椅子に腰を掛けるのは人間だけ。椅子は人間にとって安らぎを与えてくれる身近な"居場所"なのです。
様々な椅子を集め、修理をするライヴはアスタにとって居場所を与えてくれる存在でもありますし、私たち観客へ身近に"居場所"があることを気付かせてくれる存在です。
椅子は一つの表現に過ぎませんが、日常という身近な空間にこそ、自分らしくいられる幸せのエッセンスが散りばめられていて、ライヴのように一つ一つの楽しさや幸せに気づければ、そこが自分だけの安らぎの"居場所"なのではないだろうか。
まとめ
ないものねだりな私たちは、外の世界を見がちだけれど、本当に欲しいものは近くにある、満たされていることを知れた映画でした。
また、幸福度ランキングで毎年上位となっているノルウェーでさえも、社会での居場所に対して焦りを感じる人間がいるということ。
そして、福祉制度が魅力なため、ロシアやウクライナからの難民が増え、本当の意味での支援が行き届かなくなっている現状が静かに問いかけられていたこと。北欧の難民・移民受け入れの情勢へ目を向けるきっかけになる作品です。
美しい映像、静かに問いかけるメッセージたち、どこを切り取っても私たち観客の心に温かく沁みていくヒーリングスロームービーです。
現在は、シアターイメージフォーラムにて公開中ですので気になる方は是非劇場に足を運んでみてください。