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アンスクールを紐解く②お菓子編
カオスを覚悟して始めたアンスクール。
(注:アンスクールは不登校ではありません。スクールを解くという感じです)
「あなたたちは今日から全く自由です。なんでも好きなことを好きなようにしなさい。人様に迷惑をかけるのはダメね」
「何をいつ食べてもいいし、お菓子も好きなだけ食べていいです。」
「テレビもゲームも無制限で好きなようにしなさい」
「寝る時間も自分で疲れたと思ったら寝なさい。朝も起こさないから目が覚めた時でいいから」
<お菓子・おやつ>
当然、お菓子の引き出しは閉まる間もないくらい子供たちはひっきりなしに台所を行ったり来たり。
うちは特にオーガニックにこだわってるわけではないので体にいいお菓子があるわけでもありませんでした。
普通にスーパーやコンビニで買うお菓子やアイスを今までの「物足りなさ」を埋め合わせるかのように食べまくってました。
当然食事の時間にはお腹が空いていないので私は敢えて食事作りをすることもなくテーブルにおにぎりを置いておいたり果物を少し置いておく程度にしました。
「お夕飯何が食べたい?」とか「今日は◯◯を作ろうかと思うの」と伝えるとそれに合わせておやつの量を各自調整してました。
私のこの完全手放しおやつ食べ放題は作戦でもあり実験でもあったんです。
人間の簡単な心理を使って子供たちで実験したんです。
「ダメだと言われるからやりたくなる」
「制限があるから足りない気持ちになる」
欠落感・欠如感は個人個人で違うので自分の足りるは他者の足りた満足感とは限らない。
足りた感じがしないからもっと欲しくなる。
自分の満足感が満たされないから機会が訪れたら「次いつこんなに食べれるか分からないから」とキリなくお菓子を食べまくる。
うちはプレイデートが多かったのでいろんな子供を見てきました。
家庭でのお菓子制限が厳しければ厳しいほど、お友達のおうちに行ったときに自制が効かないくらいお菓子に取り憑かれたように食べる。
お菓子の飢餓感っていうのはものすごく強いものでうちにきて無制限でお菓子が食べられるとわかると寝る時まで飴を舐めて手にもったまま寝た子、
帰る時にはポケットとバッグと口に詰められるだけ詰めて帰った子、
イースターバニーの大きなチョコを姉妹でこっそり他の部屋に持っていって食べてバニーの足だけ気持ち残していった子は親の言いつけを守りたいけどチョコの魅惑には勝てず、罪悪感からほんのちょっとだけ残したんでしょうね。
うちの子達がこれでもかというくらいにお菓子を食べまくって普通の食事を食べなかったのはせいぜい2−3週間でした。
お菓子を心ゆくまで食べたら体がお肉や野菜、果物を欲してきてお菓子よりも食事を食べるように各自自然に調整していきました。
このバランスはその後も継続中で実験から8年経った今はお菓子は食べるけれど本当に少しだし、食べない日もあります。
何かのお菓子にハマることもあるけれど欠落感、欠如感、不満足感が消えるとお菓子が特別なことではなくなり本棚に本が置いてある感覚に似たニュートラル・ゾーンに入るんです。
この試みは「いずれ体の声を聞くようになるだろう」という仮説もあったのですが、見事に「そうである」と結論づけることができました。
また、ダメと言わなくなるとお菓子に関してはダメと言ってた頃よりずっと自制するようになったと結論づけることもできました。
むしろ、本人は全く自制しているという感覚ではなく、ただ欲しくないだけなんだと思います。
お菓子を悪者にしないということも大切です。
子供に罪悪感を持たせないことも大切です。
食べたから悪い、食べないから偉い、ではありません。
お菓子は良いか悪いか、ではありません。
ただ、お菓子です。
あるドキュメンタリーで貧困から駄菓子しか家にない子供がいました。アメリカのある貧困家庭ではスーパーで食材を買うよりファーストフードでセットを買った方が安いと言ってた親がいました。
お菓子が悪い、ファーストフードが悪いカップラーメンが悪いということがある人へのジャッジになってる場合もあります。
しょうがないのに何気ないジャッジと一言が誰かを傷つけてるかもしれない。
ディスクールを通して自分の中に数多く存在する他者へのジャッジ、物事の善悪のジャッジ、良し悪しのジャッジ、世間体を気にする自分へのジャッジなどを払い落とし、一つ一つのことをさまざまな視点から見れるようになり違いを事実として受け入れられるようになります。
アンスクーリングのためのディスクールは非常に平和思考なんです。
アンスクールは和と共生、尊重を尊ぶ考え方なんです。
アンスクールは教育方法ではなく、上記を踏まえた生き方なんです。