自己紹介〜教育ママからアンスクーラーへ
11歳、13歳、16歳の男の子のお母さん。
インテグラル・コーチング認定(Integral Coaching Canada)、和を尊ぶ子育て・教育のライフコーチ、コンサルタントでもあります。
長男Jは識字障害、言語発達障害、学習障害があります。
次男Aは不安症、強迫観念症があります。
子供達の父親の仕事の関係で東京と香港で暮らしました。
2017年より私と子供3人でカナダのバンクーバー在住。
長男Jのざまざまな発達障害が理由で私たちの選択とは関係なく一都市、一つの学校に在籍を続けることが難しく東京と香港を5年間の間に3往復しました。
長男が10歳になる頃には8つの学校に通いました。
香港のある学校ではADHDの薬を飲ませないのなら学校には居させらないと言われ、都内のあるインターでは2年生の時に学費の請求書が送られて来ず強制退学になりました。
長男Jが小学校3年生の時近所の公立小学校に通いましたが、Jは不眠症になり体調も崩し始め、家の中では家族とあまり顔を合わせることがなくなり、徐々に不登校に陥っていきました。
時を同じくして次男はチックと不安症が悪化。
三男はなんともなさそうなのに登園時に毎日嘔吐。
この時までは私の中で「ホームスクール」は考えていなかったし、ましてや「アンスクール」なんてヒッピーがするものだと思っていました。
私は子供が学校に通うことに一切疑問を感じたことがなく、むしろエリートコースを走るべく早期教育や家庭教師、オールラウンドで人間形成のためにさまざまなアクティビティもさせていました。
いわゆる昭和の高度成長期の教育形態を信じて疑いませんでした。
しかしどうも子供がこのコースに乗っからない。
教育ママだったのでビシバシ厳しく勉強させてたのに。
学校に足繁く通い、先生に「二人三脚でどうぞよろしくお願い申し上げます。」と頭を何年も下げ続けました。
しかし子供が目に見えて崩れてく。。。
「ママなんか大っっっ嫌いだ!!!!!」と8歳の息子に言われる。
で、ある日、一人で車に乗り信号待ちしてた時のことです。
「長男Jの15歳を見れないかもしれない。Jか私のどちらかが命を断つのでないか。。。」
「Jが明日死んだら私に後悔はないだろうか」
と、頭に浮かびました。
この恐ろしい直感は神様からのプレゼントだったと思っています。
私が一生懸命「子供のためだ」と信じてやっていることが本当に本当にこの子達のためなのだろうか。。。
子供達は明らかに何かしらのSOSのサインを出してる気がする。。。
それまでは学校さえ変えればいい方向の向かうに違いないと考え、それぞれの学校が掲げる教育理念に期待をして転校を繰り返しました。
もう散々学校は変えたしどうも学校に答えはなさそう。。。
このことに気がついた時にホームスクールを決意します。
ホームスクールを始めた頃の最大の目的は、まずは子供達の心身を健やかな状態に戻すことでした。
心も体もボロボロでバランスが崩れまくってる中で勉強もへったくれもない。
親子4人で公園に行ったり、遠足に行ったり、近所に住んでた私の母もいろんなところに子供達を連れて行ってくれました。
この間に私はディスクールをしながらホームスクーリングのことを勉強します。
一般的には学校に通った一年はディスクール1ヶ月に相当すると言われていますので、私は小中高大の16年=16ヶ月のディスクール期間が必要ということになります。
ホームスクールを始めて3ヶ月経った頃にアメリカからシュタイナー系ホームスクーラー用の教材を取り寄せ長男と次男の勉強開始。
1ヶ月も経たないうちに自分の子供であるにも関わらず三人三様学習スタイルが違うことに直面し学校での教え方に限界があることを理解。
次はユニット・スタディーを試してみる。
ユニット・スタディーはある一つのこと、例えば「ケーキ」を中心に国語、算数、理科、社会、地理、歴史、音楽、美術、家庭科などを学ぶ方法です。
これは親の私の準備時間が毎日5−6時間要したので私がギブアップ。
そのあとはオンラインで算数と国語だけでもと勉強する科目を大幅に縮小。
この頃はホームスクールを始めて1年ちょっと経っていた頃で、私は初めてのホームスクール本から派生した疑問や興味を伝い、学校・教育・カリキュラム・学び方・学校と社会のつながり・学校のもたらす個性の発達の限界・精神病及び自殺・社会の諸問題などについて本やウェブ、動画や映画、ドキュメンタリーを貪るように勉強しました。
実は私は夢見る夢子さんで幼少期から「世界の平和」を望んで止みません。
アンスクール開始直前に出した私の「世界の平和」の答えは「まずは私の状態、子供の状態、家族の状態、家庭の状態」を可能な限り平和にすることでした。
そして私にとっての平和とはなんぞや。。。
個人を尊重すること
違いを理解しようとし、違いを尊重すること
物事を可能な限り違った視点で捉え理解する努力をすること
和を尊ぶこと
和をもたらすための変化を恐れず止めないこと
これらのことは当たり前のことと捉えられるけれどそれが日常的に見えていることなのかと問うことも必要でした。
ニュースを見ればそうではないことがすぐに見受けられます。
なので子供に「尊重」をできる人間になって欲しければまず私が「尊重の形」を示すことが必要です。
尊重されることはどういうことなのかを言葉ではなく体感することが必要です。
これがアンスクールへの道へとつながりました。