そのままの自分でいること
茨木のり子の詩が好きだ。
図書館でふと手にした「ポケット詩集」。
その一篇に『 汲む ー Y. Y に ー 』があった。
(上記 詩より 一部抜粋)
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人と思わなくなった時
堕落がはじまるのね
(中略)
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
変に恰好つけなくていい。
不恰好でも、
その人らしさがあれば
伝わるものがある。
大切なことを守り続ける。
それで十分だということ。
『 いつまでも大人になれない 』
そう感じていた私の心が、
何だかすーっと落ち着いた。
そのままの自分を大事にすることを
ずっと大切にしている。
先日、私よりも四半世紀長い時を歩んでいるある方が、
「私、緊張って大切だと思うの。」とおっしゃった。
その時すでに、この記事の前半部分を書いていた私は、茨木のり子の詩を思い出して、
「ありがとうございます。」と言っていた。
私には緊張を隠そうとする癖があるから。
隠れた自分まで認めてもらえたようで安心したのだ。
「緊張があったり、緩んだり、そういうのが大切だと思うのよね」と、その方は続けた。
その言葉に別のことを思い出す。
うつ病で過酷な闘病生活を送っていた友人。最近、「バランスに気付けたんだ。上がったり、下がったりするって当然のことで、そのバランスをとることなんだよね」と言っていた。
自律神経の交感神経と副交感神経の話だけではなく、人間が生きるっていろんな波を経験することなんだろうな。
苦手な波があったり、毎回流されそうな波があってもいいんだ。
大切なのは、波が来た時に恐れて波の下に沈んでしまわないことなんだろう。
なんか上手く生きられる気がした。