
常識にとらわれすぎたくない、だけど非常識だとびっくりしちゃう。
最近、職場に新しい子が入ってきた。
私の職場は作業しながら話すことが多い。なんなら1日の大半を話しながら過ごしている。接客もするのでさらに話す。女性は1日に90分ほど話すといい、という記事を見たことがあるが、私の職場だと全く該当しない。実に快適な職場。
そんな環境の中、新しい子が入ってくると話すことしかない。大学生の子には学校のこと、バイトのこと、恋愛のことも話したり。そんなふうに話していると、その人の過去を通してこんな人なのかな〜と色々考えてしまう。
新しく入った子であまりにも対比してしまう子達がいる。生い立ち、育った環境、与えられてきたもの。全てが違いすぎる子たちがいる。
どちらがいいとか悪いとかではない。
それでも比べてしまう、自分がいる。そしてその現状に考え込んでしまう。
そして、生い立ちや育った環境はこんなにも人を成形し、影響を与えるものなのかと恐ろしくもあった。言葉遣いや一般常識など、人間としての行動?にすごく違いが出てしまっているなと。感じてしまった。
常識!!とそればかりになるのもよくないが、「普通に考えれば」大体想像がつくようなことが分からない。でもその常識って一体誰が作り上げるのだろうか?それは育った環境、親の価値観がほとんどを占めているのではないかと思う。
人間的な価値観は、その人が成長する中で〜が好き!とか〜を大事に生きていきたい!と思うのだろう。
しかし、人間的な常識ってどうなんだろう。ちょっとしたこと、訂正する、までもないけど、「え?」となること。例えば煙モクモクの焼肉屋にピンヒールで出勤するとか。ありえない、と思うかも知れないが、ありえないことんなてありえない。もしかしたら、女はいつでもピンヒールを履くのが礼儀!作法!という育て方、育ち方をしていたら、当たり前にピンヒールで出勤するし、それを悪いことだと思わない。(ここまで来たら注意はする笑)
その常識を否定するということは、その人自身の価値観・人生を否定するということになるのだろうか。(この書き方をするとコクリコ坂からの風間くんのセリフを思い出してしまう笑)などと考え始めると、何も言えなくなる。それは困るので、「ここでは」こうして欲しい、というふうに伝えてみようと思う。
そう思うとやはり、出るな、と感じる。だからこそ、品よくありたい。