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仲直りする方法は教えてもらったけど、喧嘩する方法なんて学んだことがないよ

「彼氏が連絡くれなくてなんか喧嘩しちゃった。」

友達がいつもいう”彼氏と喧嘩”がすごくうらやましかった。彼氏と喧嘩したって感情的なっている友達の話を「うんうん」って聞くのが本当にうらやましかった。

私は今まで彼氏と喧嘩したことがない。

というか喧嘩する方法が分からない。私にも以前、2年くらいお付き合いしている男性がいた。半同棲みたいな感じで生活をしていたこともある。

でも、彼と喧嘩することはほとんどなかった。彼が7つも年上だったというのもあるのかもしれない。感情豊かな私をいつも包んでくれた。いつも折れてくれた。

私には喧嘩の仕方が分からない。

喧嘩はしなくて済むならしないでいい。でも、喧嘩をしなきゃいけない時だってある

大人だって喧嘩する。

喧嘩になる前に、自分に対しても相手に対しても怒ってしまう原因はなになのか、喧嘩以外の他に方法はないのか。相手の立場に一旦立って考えてみる。

よく考えてみる。

喧嘩をすればするほど後に引けなくなってくる。だから怒りが大きな怒りになって喧嘩をしなければいけない状況になる。

喧嘩は体力を使う。自分の気持ちも、時間も使う。時にはお金も使うかもしれない。

だから、喧嘩をしないほうがいい。

でも、自らが譲ることのできないボーダーを超えたとき、怒りという気持ちが生まれてどうしようもないときだってある。

それに、自分が正しいと思ったとき、何かを守るためには自分はまけてはいけない。

喧嘩をしなきゃいけない時だってある。

「生まれてこなかったラ良かったのに。」

小学校の時、姉に言われて悔しくて喧嘩した。感情が抑えられなくなった。言葉では姉にまけ、どうしようもなくなった私は金属のペンケースで姉の顔を殴ったことがある。その時は大事には至らなかったけど。

どんな理由があったとしても手を出したら負け。というお家のルールで私は怒られた。

それが小さかった頃の最大の喧嘩である。

でも、大人なってくれば喧嘩をする機会がなくなった。

小さいころから何かと他人の意見を理解できず、自分の意見を曲げられなかった。他人に過剰に期待していた。

だから、私は喧嘩をしていた

でも今は違う。他人の意見を理解する方法を見つけることもできたし、色んな経験を積んできたから他人のことがわかるようになってきた。

でも、それでも喧嘩する。それで泣いちゃう。いつも他人と喧嘩になるたび思う。

「私って喧嘩が下手なのかもしれない。」

仲直りする方法は教えられたけど、喧嘩する方法なんて学んだことがない

「ごめんなさい。ってちゃんと言わなきゃだめだよ。」

幼稚園の年少さんの時に友達のまるくんの大事な部分を蹴ったことがある。私はまるくんが私のお姉ちゃんのことを「かわいくない。」って言ったことが気に入らなかった。だから、怒って蹴った。

その男の子は大泣きをして、結局先生が仲介に入った。

「ごめんねって言わなきゃダメだよ。」って言われたから私は渋々誤った。でもまるくんはずっと泣きじゃくって私には誤ってくれなかった。

手を出したらダメで言葉が伝わらない相手に対してどうやって喧嘩すればいいんだ。

幼稚園の頃からいつも疑問だった。

小学校のときも中学校の時も誰も”喧嘩の仕方”なんて教えてくれなかった。

でも、みんなちゃんと喧嘩をしてる。喧嘩している風に見える。

私は幼稚園の頃の一件で、家族以外の人間に自分の感情をぶつけてはいけないとずっと我慢するようになった。

私は喧嘩をすることが怖くなって、喧嘩をすること自体が怖いと思うようになった。喧嘩をするくらいなら我慢するようになった。

だから私の小中学校のころの口癖はいつも「ごめんね。」だった。

喧嘩のおかげで話し合いの機会が出来る。だから、お互いが歩み寄ることができるかもしれない

彼氏と喧嘩をあまりしない私でも、女友達とはめちゃくちゃ喧嘩をしてた。

喧嘩の内容は本当に普通の小さなこと。

「遅刻が許せない。」と「でも5分遅刻したって変わらないじゃん」とか「朝機嫌が悪いってわかっているのに言葉遣いが気に食わない」とか

そんなことがきっかけでだんだんストレスが溜まっていく毎日。

その友達にとってめんどくさい私になりたくない。これを言いだしたら「別れ」近づいてしまうんじゃないかって思っちゃう。私も我慢してるし彼女も我慢してる。でもそれが耐えられないなら離れた方が良いよねって。

で、何かのきっかけがあって、私の気持ちを変えられなくて、感情が爆発して喧嘩をした。

でもそのおかげで「話し合い」ができた。

初めてわかる友達の気持ちや、私がどう思っていたかが友達に伝わっていなかったことが分かった。

だから分かった。喧嘩はやり方次第なんだなと。

他人と自分の意見が違うのは当たり前のこと。だれも自分と同じひとなんていない。

双子でさえ考え方が違う。30年以上一緒にいる人だって意見が同じになることなんてない。

人間は生活をするためには一人じゃ生きていけない。だから他人と一緒に生きていかないといけない。

でも、他人と一緒にいきていくということは他人を理解して寄り添わないといけない

他人を理解するということは他人の価値観を受け入れるということ。他人の意見を受け入れるとともに、今まで持っていた自分の価値観を否定しなければいけない時だってある。

そんな時自分を曲げられなくて喧嘩になる。そして話し合う。だから、今まで見えなかった側面が見えることがある。

誰も上手に喧嘩をする方法を知っている人なんていない。だけど歩み寄りの方法は知ってる

「でも、だって私が嫌だっておもっちゃったんだもん。」

合理的に解決できないのが喧嘩。頭の中ではわかってるけど感情が勝っちゃって譲れない。そんな時に起こるのが喧嘩。

正しいと思っていることと、相手の正しいと思っていることが衝突しちゃって、その話し合いが白熱しちゃうのが喧嘩。

でも、自分の正しいと思っていることが常に少しずつ相手に伝わっていた解いたら?相手の正しいと思うことを日頃から理解しようと試みていたとしていたら?喧嘩にならない方法で解決できるのかもしれない。

でも、それが時にはできないときだってある。

人間はみんな少しずつ違うのだから他人のすべてを理解することなんて絶対できない。

だからそんなときは、大人げなく感情を相手にぶつけてみればいい。

大人だから感情を自分の中で消化しないといけないっていう法律はないし、感情が生まれるのが人間なのだから、別に珍しいことではない。

感情をぶつけることから見える世界って毎回悪いことばかりじゃないかもしれない。

今まで見えなかった相手の新しい世界を見るために喧嘩を時には使ってもいいのかもしれない。

P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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RINKO@女子大生のん
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