音が苦手な私は、音に支配されない世界を望む。
私がHSPであるという話は、以前にもさせていただきました。
HSPは、さまざまな刺激に敏感なわけですが、特に何に敏感かということは、人それぞれだと思います。
特に「敏感」なものの話
私は特に、「音」に敏感です。いわゆる「聴覚過敏」だと自認しています。
人が生きている限り、常にあらゆる「音」が耳に入ってきます。
それが家の中であっても、外であっても。
私が特に苦手なのは、
大きい声(罵声や叫び声だけでなく、単に声が大きい人の話し声なども含む)や、人が立てる生活音(足音や作業音、家電の音など)、人混みの中での人々の話し声
などです。
だから、私は家の中ではイヤホンをして好きな音楽を聴くようにしたり、外では人の多いところには極力行かないようにしたり心がけています。
ただ、そもそも耳に異物(あえてそういう表現をしています)であるイヤホンが入っているという状態も苦痛ですし、音楽もずっと聴き続けていると疲れてきます。
この世界で生きている限り、「音」からは100%逃げられない
だから、私が常に望んでいるのは、「音」に支配されない世界です。
もちろん、完全に支配されない世界に行くことは不可能だと思います。
でも、一人暮らしをしていたり、自分の部屋があったりする人は、それに近い世界に行けるんだろうなと感じます。
私は理由があって一人暮らしができない現状ですし、自宅には自分の部屋がなく、常に誰かの・何かの発する音があります。
こんな状況は、HSPである人間にとっては、とっても辛い状況です。
でも…
何より辛いのは、それを誰も理解してくれないこと
です。
私は母親にこのことを相談したことがありました。
こんな理由だから一人暮らしがしたいんだ、と言ったことがあります。
でも、「誰にだって音が耳障りでしんどくなることはある」と、理解し(ようとし)てくれませんでした。
私にとっては、何よりもそれが一番辛く、苦しいです。
だからこそ、自分が理解できないことを理解しようとする人間・教師でありたい
こう思うのです。
みなさんは、どうですか?
理解できないことを理解しようとできていますか?
正直私も、すべてを理解できる、理解しようとできているかといわれれば、イエスと即答できる自信はありません。
でも、理解しようという姿勢を見せることのできる人間・教師でありたいと考えています。
いや、そんな人間・教師になります。
以上です。