牛乳を注ぐ女ならぬ、愛を注ぐ女
私は、生涯人が与えられる愛の量って、決まっているという仮説を立てている。
ただ与えられるタイミングが環境によって違うだけで、トータルの量は同じ。
それを500mlのペットボトルに喩えると、人はそれぞれ2種類のペットボトルをエネルギー源として生きていると思う。
1本は他者から与えられる愛。もう1本は、自分が自分に与える愛。
人によっては、幼少期にドバっと大量に愛を与えられる人もいるし、幼少期はほとんど与えられず、大人になってドバっと与えられたり、チョロチョロと与えられていった