雪山は「いま生きている」ことを教えてくれました
雪山に登ろう。
と思ったのは最近のこと。
気持ちは綺麗な雪山が連なる北アルプス山頂ですが、さすがにそんなところを登るのは難しいかなと思いました。
経験と装備不足もあり、山のレベルを下げつつも最低2000m級の山じゃないと雪山は味わえないんじゃないかと思って選んだのが日光白根山🏔
日光白根山は去年11月に登った経験があったし、この山ならちょうど良い練習になると思いました。
実際挑んだ結果、命懸けの山行となりました。下手したら命取りとなる雪山登山で感じたのは「全力で生きている」ということです。
頭おかしいんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。途中で諦めたらそのまま雪山で凍死してしまう状態で、なぜこんなことを思ったんでしょうか。
実行に移す勇気
登った経験のある山だと気持ちが楽。しかし、登山を予定した日は雨で、予定したコースの完走は一日がかり。
頭の中では既に言い訳を考えています。
「雪山に登ったことがないのに雨の日に登るのはどうかな?」
「一日かけて登ると次の日大変だよ」
「下手に挑んで怪我とかしたら仕事どうするの?」
「まだ装備も整ってないよ」
などなど。
今回の登山がいかに良くないのかいくらでも言えます。登山の前日からこんな考えに囚われて、いくかやめようか当日の朝まで悩むことに。
もはや登山は趣味に過ぎないのに、いつの間にか義務のように感じてきました。日を改めて挑戦しても良かったんですが、そうするとなぜか逃げたような気がしました。
もし天気が晴れてたら迷うことなく行動に移したんでしょうか。休みが一ヶ月くらいあったら悩むことなく実行できたんでしょうか。
結局、趣味であっても行動に移すのは天気でも休み期間でもなくどんな状況であれ思ったことを成し遂げようという勇気が必要であることを感じたのです。
登山口まで来れた
つべこべ考えるのは嫌になりまして、頭の考えを無視して行動に移すことにしました。
山に向かう途中も雨が降り続いたのでどうしようか迷いつつも、とにかく登山口まで行ってから考えようと車を走らせたんです。
不思議なことに登山口である日光スキー場の駐車場に車を止めると今までの雑念が一瞬に消えました。
リュックを背負い日光湯元キャンプ場の真ん中を突っ切っている自分を発見したのです。
風が吹き、雨が降っています。目的とする山は霧に覆われ見えず、周りは静まって誰もいません。
雑念は消えたものの、山頂まで行けるのかという新たな不安が芽生えてきました。
第二の心のブレーキが効いて、一歩一歩前へ踏み出しているはずなのに前に進んでないような気がしました。
今でも遅くない。家に帰って風呂に入り、暖かいこたつで映画でも見てればそこが天国だよ。
雪が積もった登山口は滑るし歩きづらかった
いろんな考えをしながら登っていると雪に覆われた道が出てきました。
思ったより雪が積もっていて前に歩いた人の足跡が深く踏まれています。その足跡がなければ方向がわからいくらい深い雪道でした。
当然足はめちゃくちゃ滑ります。それに一歩踏み出すたびに足が雪に埋もれてとても歩きづらかったんです。
アイゼンもピッケルも持っていなかったので周りの木の枝や岩を掴みながらなんとか進みました。
心拍は一気に上がり、足の疲れは普段の登山より倍になりました。雪山の登山を体で感じてみるとかなりキツかったんです。
逆説的にそのキツさが僕の雑念を全部追い払い、登山そのものに集中させてくれました。
これがホワイトアウトなんだ
尾根が見える分岐に着くと強風が吹いていて気温も一気に下がりました。去年登った時も前白根山付近から強風が吹いて大変だったことを覚えていますが、雪山となった時の風は一味違います。
前白根山に着いた時「皮膚に突き刺さる風ってこれなんだ」と体感しました。体が押されるくらい強風で自分の声が聞こえないし周りはとにかく白。
これがホワイトアウトというやつか!
まとも?な人ならば、この時点で危機感を持ったはずです。でも今までの人生で経験したことのない風景に感嘆して何度も周りを見渡して歩き、強風を感じました。
いつもはスクリーンの向こうにあった景色が今目の前にいます。キツくて怖くて寒くて嬉しい。
本当に死ぬかもしれない
前白根山を過ぎて奥白根山へ進もうとしましたが道がわかりません。道に迷い、雪は膝まで積もっておりさらに体力消耗が進みました。
前白根山と奥白根山の間に避難小屋があって一旦ここで休憩をとることにしました。
前白根山から避難小屋までは下り道でそこまで苦労せずつきました。
避難小屋のドアを横押しで中を見ると意外と整った感じで布団と毛布が最初に見えました。さらに周りを見ると、エマージェンシーシートやカセットコンロ、薪、タオル、水などもありました。
早くカロリーを摂取しなければ
カップ麺を二つ持ってきたので、携帯ガスボンベにマイクロレギュレーターをつけて火を起こしお湯を沸かしました。
白根山の強風で避難小屋のドアが揺れて誰かがノックするような音がずっと鳴るし、窓の外ではヒューヒューと風が隙間を通る音が絶えません。
レインウェアを着ていたけれど汗でインナーが全部濡れて、ブーツとグローブの隙間に雪が入り手足もびしょ濡れ。
体温は急激に下がっていました。体の震えが止まらない。
持ってきたダウンジャケットを着てカップ麺を食べ、暖かいスープを啜りました。思ったより温まらないことにびっくり。
時刻は15時を過ぎていました。日没は16時半。あと1時間半で日が暮れる!でもここまで来るのに3時間くらいかかったよ!
どうしよう?
必死に生きようとした
避難小屋に入るまで「ここで休憩して奥白根山を制覇しよう」と思っていました。
冬用じゃないブーツと冬用スポーツインナー上下を着て上はフリース+レインジャケット、下は防水の薄いパンツ。アイゼンなし、ピッケルなし。
(白根山がここまで酷い状況になると思ってなかった人間の装備)
外はホワイトアウト状態で猛吹雪。
よくもこんな状況で下山を考えてなかったですね。奥白根山まであと少しだからなんとか登り切りたいという気持ちが強かったようです。実際に避難小屋から奥白根山まで約1kmで1時間登ればいける距離でした。
流石に無理だと判断したので来た道を戻って下山することに決めました。
日没まで制限時間1時間半
避難小屋から前白根山までは登りだったので、あまり登らない五色沼を通っていくルートを選択。
五色沼に沿って歩きいているうちに、道が雪でわからなくなりました。
これはやばい!
YAMAPのルートを見て前白根山の方向に向かいますが、どうやら道ではなさそうな坂を登っていました。鹿の足跡した見えません。登山ルートから外れていました。
足は滑り、登山ルートから外れた坂は続く。今更戻るには時間もない。体力はどんどん落ちて両足も攣り始めました。
ちょっと進んでは立ち止まって休み、また少し進んで木に身を寄せて休む。ない力を絞って坂を登ろうとした時に足が滑り登れません。いつまでも終わらない坂を恨んでました。そのまま体を雪に沈め動きたくないと思うようになったのです。
ここで諦めるとマジで凍死する!
よつんばいになって「少しでも前へ進んだらいつかは終わるはず」という気持ちで焦らず登りました。
こんだけ必死にもがいたことがあったんだろうか。
俺生きてるねと分かった瞬間
前白根山山頂に着いた時「あとは下だけだ」と安心しました。
結局日が暮れてライトを照らしながら下山することになりましたが、日光湯元キャンプ場の方までたどり着いた時の安堵感は忘れられません。
産業革命を逸早く成し遂げた19世紀イギリスでは「肉体労働をしなくても生活できるのが格好いい」という風潮があったようです。
物質的に満たされ大変な思いをしなくても楽に暮らせるようになって、実際にそのような生活を送っていた人々は人生の虚しさを感じたようです。
外に出て汗をかき、危険を承知しながらもアクティブな活動をしよう
ハンティングや登山などのスポーツが流行り出したのもこの頃らしいです。
何にも不自由なく安全に暮らせる生活を手に入れたのにむしろ息苦しさを感じてしまう。
僕も同じことを感じていました。
休日をどう過ごすのかは自由ですね。
白根山を登るのではなく、こたつで一日中過ごすこともできました。そうしたら気楽でいつもと変わらない休日を送ったでしょう。
でもあえて山を登ることにしました。辛い登山になるのが分かったので実行に移すまで大変だったし、実際に死にかけた経験までしたのです。
ただ楽に過ごせるのにあえて大変な思いをするなんて意味わからない。と言われるのも無理ではありません(実際そう言われました)。
いつも通り安全、安楽な家で過ごしたら「俺必死で生きてる」と感じることができたんでしょうか。
あ〜明日からまた仕事に行かなきゃならない。この休日終わらないでほしい!と叫んでいたかもしれません(こんなのをサザエさん症候群と言うんでしたっけ)。
登山をして死にかけた思いをして、今生きていることに感謝して次の日を頑張って生きようとする気持ちになりました。
おまけにいい経験談もできて嬉しいです。
僕は変態かもしれませんw