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ねこねぷたとりんご〜「りんごの死」はすぐとなりに

こんにちは。株式会社Ridun代表の永井です。「RINGO JAM」という、りんごと別のものの掛け合わせで、わけのわからないものを作りたいと、日々考えています。先日はりんご畑でLIVEをやったりしました。内容は記事にまとめていますので是非ご覧ください。

今回は「ねこねぷた」を作ってりんご畑に灯すという、またよくわからないことを実施しました。そして、制作してりんご畑に灯すという一連の作業を通じて感じたことを記事にまとめたいと思います。

普段、りんごに関する取材やら講演やら執筆やらをする時、基本的には「栽培」とか「文化」とかそういうことを考え、伝えることが多くなります。今回のねこねぷたのワークショップを通じて感じたのは、今までのものとは全く異なるものでした。「りんごの死」についてです。「栽培」と「死」というのは真逆の概念ようにも思えたのですが、ちょっと違うような気もしています。明確な何か答えがあるわけではないのですが、私は「りんごの死」について、初めて言葉として認識することになりました。

まず、そもそも、ねこねぷたを制作してりんご畑に灯す、というのがどういう取り組みであったかをお伝えします。
滋賀県湖南市を中心に活動している「コニャンナーレ」の協力の元で実施しました。ねこねぷたを制作するワークショップを、ねぷたの本拠地である青森県弘前市に逆輸入しようというものでした。

青森県弘前市にあるHIROSAKI ORANDOにて
ワークショップの告知ポスター

そもそも「ねぷた」とは、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれているようですが、起源は定かではないようです。
7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、今の「ねぷた(ねぶた、ねふた)」につながります。

8月上旬のねぷたまつり期間中にワークショップを実施し、ねこねぷたを通じて弘前のねぷたを再認識してもらい、その広がりの可能性を感じてもらう機会にできたのではないかと、勝手に思っています。
少なくとも、ねこねぷたを初めて制作した私にとっては、そんな可能性を感じることができる取り組みでした。針金と和紙と絵の具で、こんなにも個性的なものを表現できるなんて、思ってもみませんでした。
そして、このワークショップでは少し変わった和紙を活用しました。りんごやさくらの剪定枝から作られた和紙です。少し茶色い色味で、味のあるねこねぷたを作ることができました。りんご/さくら和紙研究会さんにご協力いただきました。ありがとうございました。

賑わうワークショップ会場
試しに灯してみた「ねこねぷた」たち

当初は製作したねこねぷたをりんご畑に灯し、可愛らしい雰囲気の画を撮ることを想定していました。
しかし、実際に灯す際、どのりんごの木に取り付けるかを検討した結果、選ばれたのは「腐らん病」という病気により、1本の主枝がほとんど枯れてしまった木。
通常、腐らん病の木を残しているということは、生産者としては恥ずべきこと、隠しておきたいことです。まだりんご畑を運営して3年目である私にとっても、例外ではありませんでした。

暗くなるのを待つ「ねこねぷた」たち

失敗を隠し通したいと感じた私をよそに、「コニャンナーレ」のナカモリさんは、「あ、いいんじゃないですか。アートには”死”を表現したものも多いし。」と言い、嬉々としてねこねぷたを設置し始めました。
最初は「周りの生産者になんて言われるかな。」とか「恥ずかしい。」とか、そんなことを考えていたのですが、途中から「いやでも、こういうのもありなのでは?」と思い始めました。

実も小さく、葉も枯れている「腐らん病」の枝

改めて考えてみると、りんご畑を運営していると、りんごの木をためらいなく伐採しなければならないシーンに何度となく遭遇します。生産者にとっては当たり前のことです。
生き物に溢れていると思われがちな畑は、生と死が隣り合わせなのです。
それを、生産者以外の方に知っていただくことは、何も恥ずかしいことではないのかもしれない、と考えるようになりました。

行き着く先に「だから、農家は大変なんだ」とか「生産者に感謝しなくてはいけない」とか、そういうことを言いたいわけではありません。
私は常日頃から、「オープンなりんご畑を目指したい。」とか「りんご畑のリアルな様子を届けたい。」とか、そんなことを考えていて、「りんごの死」も他の事象と同じくらい大切なものかもしれないと感じたのです。

真っ暗なりんご畑に浮かぶ「ねこねぷた」たち

腐らん病の木に吊るされたねこねぷたは、大変おどろおどろしい。撮影を担当してくれた東くんも、「うわっ。こわっ。」と言っていました。同感でした。怖い。死んでしまったりんごの枝、葉、実の魂が、ねこねぷたとして現れてきたようにも見えました。
このような形で撮影することは最初から狙っていたわけではなく(最初はもっと可愛らしい画を想像していたので)、流れで決まったものでした。しかし、そのおかげで普段は考えることのなかった「りんごの死」について、考えるきっかけを与えてもらいました。

「りんごの死」、とりわけ「青森にとってのりんごの死」はどのようなものなのだろう。ねこねぷたを飾った8/6にそんなことを考えていたら、数日後には豪雨が青森を襲い、知り合いのりんご畑も浸水してしまいました。これから先、青森でりんごをずっと安定して生産しつづけるということができる保証はありません。その原因は、気候かもしれないし、災害かもしれないし、個人的な事情によるかもしれません。

この記事で「りんごの死」がどういうものであるかを書きたかったのですが、まとめることができませんでした。もう少しいろんな人と議論して、「りんごの死」というのはどのようなものなのか、いつ起こるのか、その時どうすべきなのか、考えていきたいと思いました。

Writer:永井温子(株式会社Ridun 代表)


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