パパの鬼習慣
「元気に行った?」
これはパパが保育園送迎後、
帰宅した私にかけるの最初の言葉。
我が家は4人家族。
どこにでもいる普通の家族だけど、
たぶん違うことが一つだけ。
それは、毎朝の誰もいない公園で
ただただ遊ぶ。
これを朝活と呼んでいる。
ふつう朝活は
大人が早朝の時間を使って
英会話したり、
ヨガをしたり、
ジョギングしたり、
自己啓発系の何か自分のためになる
とっておきのことに使う活動を指すと思う。
我が家の朝活の場合は
子供が2人セットでついてくる。
ついてくるというより、
むしろ"連れて行く"の方が正しいのかもしれない。
これって普通に考えて、
朝のとてつもなく忙しい時間帯に
公園で家族で遊ぶなんて、
ちょっと風変わりだ。
朝活はもう一年以上続けている。
きっとこれからも飽きるまで続くと思う。
しかも、子供たちが飽きるまでだ。
そう、それはパパの鬼習慣だからだ。
パパは習慣化の鬼である。
一度はじめたルーティンを欠かさない。
飽き性で3日坊主の私とはまさに真逆の人。
朝5時45分に起床。
部屋をモップがけしている音で私は起きる。
私と娘が寝ている布団の回りを
スー(モップが滑る)
パチン(壁に当たる)
スーパチンと、寝ている布団を360度周遊され、
「起きて」と小声でささやかれる。
これはまさに目覚ましモップと呼びたいくらいだ。
そのあと、パパはシャワーを浴びて身支度をした後、
夜中にかけておいた洗濯機から洗濯物を取り出し、
薄暗いの部屋で(息子がまだ寝ているので)
せっせとたたむ…たたむ…
家事もやってくれる、
鬼でもあるが神でもある。
そのころ息子がむくっと起きてきて、
私が朝食の用意をしている間、
動画を10分程度観させる。
息子が朝食を食べ進み始めたころ、
6時30分
娘を起こし、彼女も動画を8分観させ、
朝食を摂らせる。
その間もなんだかんだ動き回り、
パパは立ったまま朝食を摂って済ませてしまう。
7時00分
パパは息子の朝学習に
20分程度付き合う。
一緒に机に向かう。
これも鬼習慣の一つ。
国語・算数・理科・社会
その日の気分に合わせて。
例題文を息子とげらげら笑いながら
読んだり、
時には思うように進まなくてイライラしながらも
朝の20分。
これにはとことん付き合う。
私も朝食やメイクなど
身支度を済ませながら、
娘の知育ドリルに付き合うことが課せられている。
誤解がないように説明すると
課せられているという表現は、
別にいやいややっている訳ではなく、
あくまでも継続力のない私が
習慣化の鬼から任されているという趣旨だ。
習慣化ができない人間には
課せられているように感じてしまう。
まさに鬼の習慣に巻き込まれているからこそ
成立しているのがこの朝活だ。
一通り、朝学習まで終えると
それぞれ子供たちは
10分程度、iPadでゲームの時間。
終わると移動して朝活時間が始まる。
「行くよー!」パパの一声で
登校・登園の荷物をもって
家族で一斉に出発。
朝活が始まる
7時35分~8時00分
天候に応じて、
公園・駐車場・リビング等で
朝活が始まる。
パパはこの朝活の20分間強、
全力で子供たちと遊ぶ。
私は助っ人だ。
朝活のレパートリーは幅広い。
縄跳び、大繩、ドッジビー、
スタートダッシュ練習
(運動会を見据えて)
親子リレー、バドミントン、
キャッチボール、バッティング、サッカー
チャンバラごっこ、鉄棒、自転車、
鬼ごっこ、かくれんぼ、生き物観察。
子供たちのその日の気分に合わせて、
チョイスできるように、
ナップサックにパンパンにつめた遊具を
サンタのように肩から担いで、
公園へ持参していく。
この朝の忙しい時間帯に
何しに行くんだ??と思われているだろう視線を感じながら、
家族でそそくさと公園へ向かう。
公園で会う人には、
大抵、「このあと、仕事なんですか?」と聞かれる(笑)
公園ではお年寄りや犬の散歩の方たちと毎日顔を合わせるうちに、
子供たちも朝の挨拶ができるようになった。
きっかけは幼稚園受験
近くに国立幼稚園がある我が家。
受験資格があるのだから
試しに受けてみるか!と
パパの鶴の一声に
端を発し、情報収集をはじめた私たち夫婦。
その時出会ったのが、
”遊びこそ最大の学び”
というフレーズ。
まま、そうだよね。
わかってるんだけどね。
でも、どうやってやっていこうかね…
わかっていても
なかなかできないコトを
あえてやってみようじゃないか!
パパの鬼習慣が日の目を見る瞬間だった。
はじめに取り組んだのは
おもちゃ改革。
どうやら遊びの質が大切らしい…
創造できる遊びである積み木やパズル系を増やし、
一方通行になりがちな電子機器を減らし、
キャラクター系のおもちゃを最低限にした。
さらに五感を使って遊ぶことが良いらしい…
手軽で簡単に、始められることは何か…
それが公園遊びだった。
この身体をフルに使って遊ぶことが
のちに毎朝継続することで
朝活となったのだ。
はじめ、この考えに賛同はするものの、
なかなか重い腰は上がらなかった。
言うのは簡単だけどいざやるとなると
かなり負担になるんじゃないかと頭をよぎる。
でも、心のどこかで
何かアクションをすると変化があるのかもしれない。
別のステージを見てみたい気持ちもあった。
その頃、娘は保育園に行くとなると
いやだいやだとぐずり、
一筋縄ではいかない始末。
保育園についてもべたべた離れず、
泣いてしまって後ろ髪を引かれる思いで
職場に向かうことも多かった。
毎朝、苦戦していたのだ。
息子も毎朝、学校行くの嫌だな~とぶつぶつ言いながら、
休まないまでも気乗りせずにしぶしぶ登校していた。
しかし、
一度コレだ!と決めたら、
突き進むのが鬼ルール。
逆らう余地はなかった。
私が決心すれば済む話になっていた。
これまでかなりのコレだ!案件を
突きつけられてきているので、
それほど驚きはしない。
吉幾三さんの歌のリズムに合わせてどうぞ。
〽テレビもねえ
レンジもねえ
ご飯は土鍋でふっつふっつ
オラ こんな家嫌だ
オラ こんな家嫌だ
と替え歌を歌って笑いあう家族だ。
ちょっと風変わりなのはお察し頂けるだろう。
どうなるかわからないけど、
とりあえずやってみよう。
パパが鬼のように引っ張ってくれることは正直、
その時は想像に及ばなかったが、流れに乗って良かったと
今となっては思う。
朝活を始めたことで、
息子と娘は大好きなパパと毎朝公園で遊べるようになった。
しかも自分たちのやりたいことに
とことん付き合ってくれる。
朝からどんよりムードの友達を尻目に
息子は何か満たされたかのように、
登校時間になると、さっと切り替えて、
ランドセルを背負い、お友達に合流。
「行ってきまーす!」と元気よく学校へ行く。
娘は朝活後、仕事に向かうパパに
「行ってらっしゃ~い!」と声をかけ、
保育園につくと「ママ、お仕事頑張ってね!」と
気持ちよく私が送り出されるという。
ん??
なんだこの好循環は!!!!!
朝活をはじめてから
2週間ほど経ったころ、
実感しはじめたのだ。
「元気に行った?」
「な~んも問題なくご機嫌だったよ」
私は決まって返答する
あの以前のぐずぐずは何だったんだ?
この朝活スゴイじゃないか。
しかも無料!!!!
お得すぎやしないか。
”子供と朝活”の秘めた力をひしひしと感じはじめていた。
朝活がもたらした効果とは
パパの鬼習慣で生活リズムが
知らず知らずのうちに出来上がる。
朝一で五感をつかってフル活動モードになることで
しっかりとモチベーションがチャージされる。
そして、各々やるべきことへとシフトしていくということが、
生活の土台となっていった。
息子の場合
息子は元気はあるが、ちょっと不器っちょな一面がある。
はっきり言って身体の使い方はあまり得意な方ではない。
かといって勉強も好き好んでやる方ではない。
しかし、
息子に至っては学習との相乗効果も
計り知れなかった。
息子は朝学習ですでに頭を動かし、
そして公園で思いきり体を動かしている。
学校の活動に支障が出ない助走程度の活動量という
ことが子供も長続きする秘訣なのかもしれない。
算数は希望制のクラス分け制度。
難易度が選べるようだが、難易度の高いクラスで
楽しんでやっているようだ。
1年の運動会では徒競走は最下位におわり、
ドンマイ!次頑張ろう!ということで、
朝活でパパはスタートダッシュの練習も入れていった。
2年の徒競走ではその甲斐あってか、見事1位に返り咲き、満足気に帰ってきたことを思い出す。
毎日代り映えしない学習や遊びでも、
単純にパパとなら楽しい!
毎日続けることで、自分で成長できていることを実感している様子だ。
自分を認めることができ、自己肯定感へ繋がっているのかもしれない。
この気持ちの充実度が彼をスムーズに動かしているのだろう。
娘の場合
昨日できなかった縄跳びが
今朝は跳べた!
1回が2回になり、やがて5回も跳べた!という小さな達成感が
新しいことへのチャレンジにつながっている。
逆上がりを練習して、できるようになると
空中逆上がりに難易度をあげたり、
回数も重ねている。
楽しいからできるのかもしれないが、
もっと多く、もっと上手くなりたいの精神が
両手の平にマメを作った。
マメがつぶれて泣きながら手を洗うその姿に
たくましさも感じた。
この達成感の積み重ねが、
新しいことにも物怖じせずにチャレンジしてみようという気持ちへ繋がっていると日々、感じている。
この幼いなりの機微な気持ちの変化は娘を着実に成長させている。
毎朝の小さなステップを
少しずつ超えていくと、
気持ちがちょっと上向きになる。
そうすると
なんだか気分も上がり、
誰かに伝えたくなるものだ。
娘はこうして朝のぐずぐずを回避し、
ご機嫌登園になっていったのだった。
保育園ではもっぱら我が家の朝活は浸透しつつある。
彼女の会話力も上がるに違いない。
朝活時間は家族時間
結局のところ、
これは家族の過ごし方だ。
しかも時間が朝なだけだ。
と言ってしまえばそれまでだ。
しかし、この”子供と朝活”は
取り組んでみないとわからない
穏やかな親子時間が流れている。
眩しい朝の光に包まれて、
体内時計もリセットされ、
思い思いの時間を過ごす。
彼らの記憶の中に、
「なんか毎朝、ひたすら公園で遊んでたよね」
とあわよくば、うっすら残ることも期待したい。
春には桜の花びらキャッチゲームをしたり、
両耳に指をいれてふさいで
たんぽぽの綿毛をかたっぱしから夢中で吹いて歩く。
もうその辺にしておきなよ…の声も届かない。
夏にはギンギン太陽の中、汗だくで蚊と格闘しながら
ちょっとイライラ気味にブランコしたり、
目玉焼きができそうに熱くなる前の滑り台で気持ちよく滑る。
秋にはイチョウの葉が緑から黄色に色づき、葉が落ち、
黄色い絨毯を舞い上げてゲラゲラ笑い合う。
冬には葉が落ちて、枝だけの木を指して
「裸んぼになっちゃったね」寂し気につぶやき、
氷点下にはマトリョーシカみたいな恰好で
もくもく歩いてと園を目指す。
後ろからみるとマッチ棒が歩いているようだ。
雪がたっぷり降った日はかっぱと長靴を履いて、
嬉々として元気に出発。
まだ誰も歩いていない雪の上を2人でキャッキャいいながら
駆けていき、手を真っ赤にして雪だるまを作って遊ぶ。
四季が移ろうことも自然に体感できるのがこの朝活だ。
こんな中長期的な楽しみもあるが、
毎日だからこそ、短期的な楽しみ方も面白い。
池のおたまじゃくしの観察は
毎日、日々刻々と成長していく。
手が生え、足が出て、陸に上がる。
手に取るとぴとっと乗ってきた
後ろ脚が生えてしっぽもあった子たちが
次の日はいなくなってしまった。
「あんなにいっぱいいたのにどこ行っちゃったんだうね。
鳥さんに食べられちゃったのかな??(悲)」
弱肉強食も学べるのも朝活だ。
しばらくするとカエルに会えてホッとしていた。
きっと
子供がいなかったらこんな会話はできなかっただろう。
朝活もしなかっただろう。
毎朝のわちゃわちゃしたこんな時間も愛おしい。
この楽しさがあるから、継続力のない私も
パパの鬼習慣にも喜んで巻き込まれているのかもしれない。
息子9歳・娘5歳
あとどれだけ遊んでもらえるだろうか。
パパの鬼習慣はまだまだ続く。
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