【思考パターンと行動パターンから抜け出す】
【変容の旅③】
わたしの「思考パターン」と、その思考による「行動パターン」に目を向けている。
最近、仲間に思ったことを正直に話す機会があった。緊張したし、体にも力が入っていたし、心臓が高鳴っているのを感じていた。相手が傷ついたらどうしよう…とか、どんなインパクトを与えてしまうんだろう…とか。
そして、たくさん伝えて、たくさんの対話をした上で、兆しが見えて、お互いの間に大きな力が漲ったんだけど、それでもわたしは最後の最後に、
「わたしが思ったことを、正直にたくさんたくさん言ったことへ心配がまだある…」
って言ったんですね。
相手が全然傷ついていないのも感じ取っていたし、しっかり受け止めてくれているのもわかっていたのに。
じゃあ、なんで?
なんで相手はショックを受けたり、ダメージ受けたりしていないってわかっているのに、わたしは何を心配してるの??
と考えていたら、ハッとした。
「心配していたい自分がいるのかも…」
って。
それによって何か守っているのかもしれない。
彼への心配というよりは、「心配しているわたしでありたい」ということに、わたしの中に【影】の部分が見えた。
そうか。
わたしはまだ、自分の声で傷つけてしまうことへのこわさがあったり、自分の声に対してまだ自信に満ちてないんだなって気づいた。
だから、その後「あの心配はわたしの中のものだったから、受け取らなくていいよー」って伝えた。
すると、彼も、うんうん、うんうん、そうだよねって受け取ってくれ、ホッとしてくれた。
彼は、そのわたしの心配に彼を紐付けてしまうと、その意識の力はやっぱり彼自身にも遠隔で届くものだなぁって思っていたそうなんだけど、そこを表現してわたしへの改善をお願いするのは難しかったと。
だから、そこもすべて含めて受け止めようって試みてくれてたみたい。そして、わたしがこうして認識したことを喜んでくれた。
「みゆきが自分の声で傷つけたり、まだ自信に満ちてないとしても、 そんなみゆきとこうして自然な分かち合いを試みる旅路の中で、ぼくはたくさんの恵みを感じているよ」
って。。。涙
なんか、こういうの、
ほんとうに、ほんとうに、感謝。。。
わたしが自分で感じた違和感にちゃんと自分の力で気づいて、
そこに意識を向けて、問いを持ち、
自分でプロセスを踏むことを見守ってくれていることが、
もうほんとうにめちゃくちゃうれしかった。
嘘偽りなく自分の声をすべて出し切ることって、本当に勇気と覚悟がいる。最初わたしも緊張したし、彼もなにを言われるんだろうってお腹に重みを抱えていた。
でも本当にお互いがオープンでいて、お互いに話し切って、お互いに聴き切る。それもお互いに簡単なことではない。
でも、できるって自信がある。
そこには、
「なんでそんなこと言うの?」
「そっちも動いてくれないじゃないか!」
「それはみゆきがあーだこーだ!」
「いやいや、あなたがこうなんでしょ!」
「わたしがわるい。。」
「ぼくがわるい。。」
とかはなく、ただただ、
「わたしの中の真実はこうなんだね。」
「あなたの真実はこうなんだね。」
「んー、よし、じゃあどこへ向かって行こう?」
って。
こういうことが話せる時間ってめちゃくちゃ豊かだなって。
そして、今回のことを通して、わたしこれを家族でも実現したいんだよなぁっていう願いを改めて実感。
パートナーの場合「いや、それは違うやろ」って言葉から入ることが多いから、わたしはわたしの声が出すことが本当にこわいんだよね…
これができたら家の中の風通し、すごく良くなるだろうなぁ。
でも相手は誰にも変えられない。
少しずつ少しずつ、わたしが変容を起こし、わたしの在り方を相手に感じてもらうことで、相手の内側も進むと確信してる。
地道にプロセスを踏んで、わたしのペースで並走していこう。
では、今日もハートフルな一日を♡
また明日ココで♡