つらいこと、忘れたくないこと
久しぶりに胃腸炎になった。
父の誕生日祝い兼節分ということで、実家で恵方巻と海鮮手巻き寿司と誕生日ケーキを無邪気に食べまくったせいだろうか。
家路に向かう途中に腹痛が始まり、夜中には胃にあるもの全てを出す勢いで嘔吐し、翌朝パートナーが買ってきてくれた経口補水液やらゼリーやらをどうにか口にしてみるも、食べた分だけ綺麗に吐いた。
最後の方には、胃に固形物はないのに、液体だけでも出したかったのか、水のようなものを便器の中に吐き出していた(きれいな話でなくて申し訳ない)。昔、胃酸を吐いて喉が焼けるような思いに苦しんだことのある私は、「胃酸だけは勘弁」と思っていたので、それだけが唯一の救いだった。
大好きな小説の一説にこんな言葉がある。
この小説の中では、この言葉は単に風邪だけのことを話しているわけではないのだが、私は今回の胃腸炎でこの言葉を思った。
死ぬほど辛いと言うと語弊があるし、これで死ぬことはないけれど、それほど辛かった。
今ガザやウクライナ、能登で寒空の中苦しんでいる人や目の前で大切な人の死を迎えてしまった人が大勢いることを想うと、私の胃腸炎ごときなんて大したことがない。そんなことを嗚咽の中で考えた。
誰に聞いてもその通りだと言うだろうし、私も一ミリの疑いもなくその通りだと思う。
それでもやっぱり、吐きながら私は苦しいと感じ、吐くことも下痢をすることもできないで寝転がっている最中には「ああーっ」と声にならない声を上げながら、布団の上でのたうちまわってわかりやすく苦しんでしまうのだった。
そんなはずはないのに、こんなことが「死ぬほど苦しい」と感じてしまうのは何なのだろう、と思う。
吐いた直後だけはやけに元気な私は、少し元気になると、お腹は減っているのに何も食べられないし食べたくないことが急に悲しく感じられた。
「梅干しなら食べられるようになっているかもしれない。梅干しとご飯。魅力的だ」と明日の自分に期待しうっとりしながら、そうだ、明日、もしくは明後日にはこんな苦しみはきっと忘れてしまっているほど回復できるのだろうと思った。
少し未来の自分に期待をできる状態においてもなお、吐いているときにはどうしてもしんどいと思ってしまうのは一体なぜなのだろう。
真面目に答えれば、科学的に答えられるのだろう。
これは私の想像だが、例えば、胃腸に過度なストレスがかかっている状態を体がピンチと感じ、それを打開するために胃腸のウイルスをとにかく吐き出そうとしているのである。胃腸への過度なストレスは異常であると知らせるためにこんなに苦しむのである、等と。
大丈夫、すぐによくなるし忘れることができると、わかっていることさえこんなに苦しんでしまう人間だ。ちっとも大丈夫じゃないことをどうして耐えられよう。
しかし悲しいかな、小さな苦しみも大きな苦しみも、きっとどちらも人間に備わった「忘却」という機能によって癒されていってしまうのだろう。神様に与えられた(と言うべきか、進化の過程で備わったという言うべきかはさておき)、痛みを忘れるという機能こそが我々を生かしていく。
胃腸炎に苦しんだ私にとってはとんでもなくありがたい機能だったが、大切な人を失ってしまった人や、目の前で日常が奪われていく戦争を経験してしまった人にとってはどうだろう。
ウクライナでは既に、戦争にある種「慣れてきてしまった」人々が多くいるという。戦争が始まった頃とは顔つき目つきが変わり、クリスマスのオーナメントには戦車が描かれ、ロシアは悪だと信じて疑わない人が語る、そんな側面があるという。戦争という時代を生きるために、ある種の順応をしていくというのは歴史的にもよくあることなのだという。彼らにあったはずの「いかなる理由でも戦争はだめだ」「国籍や思想問わず人を殺めてはいけない」という想いは少しずつ忘れられているのだろうか。
能登の地震は一か月前に起きたばかりで、まだ悲しみを背負い、痛みを忘れられない人が多い。彼らにいつまでも苦しんでほしいわけではないけれど、福島の震災で家族を失った子どもの「(親が)いないのは悲しいけど、もう忘れてしまった」といった記事を読んだ時の切なさが忘れられない。忘却は生きる力を与えてくれると同時に、別の切なさや悲しさももたらすこともある。そんな気がする。
忘れるということは、前を向くには必要な機能に間違いない。
でも、なるべく忘れないように、少しも取りこぼさないようにと、欠片を大事に手に包み、指の間をきゅっとしめている人がいることを、忘れたくない。忘れないように胸に抱えながら、前を向くことだってきっとできる。
◆関連記事
六年前にも同じようなテーマで書いていたようなので。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?