静寂の中へ
コロナになり、戦争が始まり、・・・・・・加藤周一は何と言うだろうとしきりに思う。
市井の人々の生活は、どこかの偉い人が行きたい所に行ったことに腹を立てる別の偉い人たちのすることから、はるか遠いところに厳然としてある。いつも食べているお煎餅が高くなった、腰が痛いなぁ、明日も雨か…。
私の暮らす街には、路上で寝ている人がたくさんいる。一日中リヤカーで段ボールを集めてお金をかせぐ青年たちがいる。二つも三つも仕事を持つ人がいる。生きることは大変だ。でも、この街の人は生きることに熱心だ。
プーチンは、単にトランプの真似をしているにすぎない。植松聖も、アメリカの大統領があんなことを言っているんだから僕だって、というようなことを言ったとどこかに書いてあった。トランプとは何なのか。現在進行形の現象である。好きなことを言い、好きなことをして、一つも悪びれない。自分の言動がどういう影響を与えるかということを考えない。あるいは、すべて計算ずくか。トランプはどこから来たのか。
昔、NHKの同時通訳者養成コースに通っていたころ、アフガニスタンのタリバンについて調べたことがある。世界中で起こっている政治的な紛争の陰には、必ずアメリカがいる。これが「世界の警察」ということなのだろうか。いいことも悪いことも、その裏には同じものがあるとしたら、そのパワーはすごい。アメリカとは何なのか。トランプはアメリカの何なのか。
あと何年生きるだろうかと思うような歳になり、久しぶりにふるさとに帰り、ああ私はここで生まれてからの数年を過ごしたんだと実感した。それは一から十まで苦しい経験だったけれど、苦しかったな、と認めることができたことはうれしい。その苦しさの先に今の私がいる。あの故郷に戻って残りの人生を生きたいと思う自分がいる。あそこにあるしずけさに深く沈み込みたいと願う自分がいる。本当に心地が良かったのだ、今回の滞在は。
さて、本当に帰れるか。ひとりで、ひとりぼっちのままで、あそこに住めるか。それとも、一緒に暮らしたいと思う人に巡り合うのか。私の人生や如何に。(笑)