最近の記事

雑感

吉田秀和を思い出して聞いている。モーツアルトの天才を余すところなく伝えている。思いを言葉に置き換えるという彼の仕事は見事だ。 パンを作っている。こねる、たたく、待つ、焼く。見えない小さな微生物との対話。彫刻家も、こんな気持ちがするのだろうか。 瞑想する。自分のふかいふかいところに行きたい。そこで、風を感じたい。はたして、風は吹いているか。風は、吹くか。 登山家の古いビデオをもう一度見る。山に登るということ。日々生きるということ。よろこびやたのしみやかなしみのまえに、そこ

    • mala noticia

       叔母が突然亡くなったという知らせが届いた。心筋梗塞。この知らせの三週間前は、父が救急車で病院に運ばれたと連絡が来た。髄膜炎脳炎。全治不可能、余命5ヶ月から5年。  親族から距離を置き、一人で遠い異国に暮らす私は、いきなり社会や家族の感情世界に引き戻された。    最近体がしんどく、何か病気にかかっているのかもしれないと思っている。が、もし万が一重い病気でも医者にかからず天命を受けいれようか、という思いがある。治しても、どんないいことがあるというのだろう。ここ数カ月、ここ

      • 時代を間違える

        全共闘世代には遅れた。ビートルズにも遅れた。遅れて生まれてしまった。江戸時代、あるいはヨーロッパの中世に生まれたかった、という気もある。 夕べ、東大全共闘のビデオを見た。出てきた人たちには、昔、職場で一緒だった人もいた。人生は、ほんとうに、いろいろだ。 「そのまま研究を続けていたらノーベル賞を取ったかもしれない」という言葉の持ついくつもの面を考える。 ノーベル賞に何の意味があるか、ということが一つ。 タラレバはナンセンス。 個人の自由。個人の選択。 「そのまま」ではいられ

        • 恩師へ

          大学時代の恩師のことが急に思い出された。 こういう時、向こうも私のことを考えていて、突然メールがきたりするので驚くことがあるが、この恩師とはもう長い間連絡を取っていない。 いろいろあった。 私の過去は、すべて、本当にすべて、霧の中にあるという感じで、本当にもったいないことに、私はそのどこにも生きていなかった。この恩師とのなつかしい時間も、霧中である。 あと何年時間があるだろうと頻繁に考えるようになって、コンタクトがある人には最後のあいさつをすることがある。相手にはこの私の

          サッカー アルゼンチン 日本

          アルゼンチンに住んで5年になる。この地のサッカー熱は強烈だ。これだけ熱くなれるというのがうらやましくなるくらい。 日本の敗戦について。やはり歴史が浅いからかと思う。強豪と呼ばれる国が多い南米とヨーロッパにおけるサッカーの歴史の重みがそのまま勝負に出るのかもしれないと、どうしても思う。日本は、技術を習得することに長け、そしてそのための努力を惜しまない故に、短期間で力をつけることができる。(これはサッカーに限ったことではない。)しかし、日本の敗戦を見て、技術だけでは到達できない

          サッカー アルゼンチン 日本

          50歳をこえて生きていること

          人の寿命。若くして亡くなる人もあり、長い老年期を生きる人もあり。自死を選ぶ人がいたり、病と闘い生きる人がいたり。生きることには二種類ある。社会的に生きる。そして、生物として生きる。ただ息をしてそこに存在していることは難しくはない。しかし、社会的に、食べものを獲得して第二次欲求を満たして生きていくことは、そうそう簡単なことではない。我々は訓練され、社会に埋め込まれて、日々気が付かずに「生きて」いるが、起き、顔を洗い、食事をし、外に出かけ、働き、学び、帰宅し、寝る。このことだけに

          50歳をこえて生きていること

          無と有

          地中で7年、地上で7日の蝉、十月十日と80年の人間。生と死、死と生。二つは一緒なのだなと思うに至る。無と有も。 やはり、生きてみることだ。 スイスの街のきれいさは弱点であると言ったのは誰だったか。 それは日本も同じこと。汚さ、醜さがあってはじめての美しさ。無と有も。やはり生きてみることだ。 無いところにはあるのだ、無限の可能性が。有るところにはないのだ、何も。無いことを苦しまない、あるいはよく苦しむ。無と有だ。 やはり、生きみてることだ。 やはり、生きてみることだ。

          見るこころ

          季節がめぐり、落ち葉が朽ち若葉が芽吹く。人間もしかり。順番がまわってくる。 やりたいことがあまりやれない人生だった。何かに足をつかまれていて、自由に歩けないという感覚。しかたがない。これまではそうだった。これからは・・・あと何年あるか。少し違う道を歩きたい。 この年になって(56歳)、毎日の生活を共にするパートナーを得るのはかなり難しいと感じている。出会いの場所はネット上にもあり、同じような思いの人がたくさんいる。既婚の友達はひとりがいい、というが、ひとりがいいと言えるほ

          見るこころ

          静寂の中へ

          コロナになり、戦争が始まり、・・・・・・加藤周一は何と言うだろうとしきりに思う。 市井の人々の生活は、どこかの偉い人が行きたい所に行ったことに腹を立てる別の偉い人たちのすることから、はるか遠いところに厳然としてある。いつも食べているお煎餅が高くなった、腰が痛いなぁ、明日も雨か…。 私の暮らす街には、路上で寝ている人がたくさんいる。一日中リヤカーで段ボールを集めてお金をかせぐ青年たちがいる。二つも三つも仕事を持つ人がいる。生きることは大変だ。でも、この街の人は生きることに熱

          静寂の中へ

          日本邂逅

          5年ぶりに日本の土を踏んだ。5年前も10日ほどいただけだから、9年ぶりといってもいい。何か新鮮だった。新鮮だったのは私の方で、日本は変わっていないのかもしれない。ひとことで言うと、ここはいいところだということ。これから住みたい場所であるということ。こういう感じ方は初めてだ。 実家へ帰った。生まれた場所。育った場所。ああ、ここには、私の出発点がある。なつかしい匂い。鳥の鳴き声、蝉の声、夏の日差し、その間を駆け抜けるしずけさ。圧倒的な、しずけさ。 ああ、ここは、居心地がいいと

          日本邂逅