ルカ福音書 10:1〜11
行くつもり
イエスは、ご自分が行くつもりのすべての町や村に、七十二人の弟子たちを先に二人づつ派遣しました。この七十二人には、それぞれ一人一人に主イエスとの出会いのストーリーがあり、人生は劇的に変えられ、「このお方に生涯ついて行きたい」と思わせるような、癒し、解放、回復、救いがあったことでしょう。
その二人ひと組で遣わされた弟子たちの中には、ツァラアトと呼ばれる重い皮膚病からいやされた人や、中風からいやされた人もいたかもしれません(ルカ5・12〜26)。その弟子たちの中には、ナインの町のやもめと棺からよみがえったその息子(ルカ7:11〜17)もいたかもしれません。レギオンという悪霊から解放してもらったゲラサ人(ルカ8:26〜39)や、十二年も苦しんだ長血からいやされた女もいたかもしれません(ルカ8:42〜48)。
生き証人
彼らは訪問した町で、自分と同じような境遇で苦しんでいる人たちと出会ったことでしょう。まるで自分のことのように心を痛め、時間をかけて話を聞いてあげ、「イエス様がいれば大丈夫だから」と励まし、愛をもって祈ってあげたはずです。そして、彼らは、救い主イエスがしてくださった御業を、大胆に証言したことでしょう。まさに彼らは、救い主イエスを宣べ伝える生き証人であり、これが主イエスのなされる宣教方法です。
多く赦された者は多く愛し、多く受けた者は多く与えることができます。あなたの体験を証ししなさい。最初は身近な一人から始めるのです。何気ない日常会話の中で、十五秒でも、二、三分でもいいのです。あなたがイエスを証しした時、あなたは収穫の主に遣わされているのです。
祈ればへりくだる
弟子たちを遣わされる時、イエスは彼らに「収穫の主に、ご自分の収穫ために働き手を送ってくださるように、祈り求めなさい」と命令されました。主の視点から見れば、「日本での宣教は難しい」ではなく、「収穫は多い」なのです。日本は今、収穫の時が来てます。種まきと刈り入れが同時に起こる不思議な時代に入りました。一般的な農業では、たくさんの収穫を期待できるほどの広大な畑では、収穫のタイミングを逃さないように、多くの人手を必要とします。皆で協力して一斉に刈り取りが必要です。私たちは総動員で、一斉に刈り入れるのです。今、日本に175ある教派教団よ、7,900ある教会よ、一つの御霊で一つのキリストの体となりなさい。分断を起こすすべての悪きものよ主イエス御名で速やかに退きなさい。
「収穫の主よ、働き手を送ってください」。この祈りは、「主よ、働き手を送ってください。もし、それが私であるならば、私をお遣わしください」と、一歩下がって、自分自身を主に明け渡すへりくだりと謙遜の祈りです。これを祈るごとに、あなたは、さらにへりくだる者、もっと謙遜な者へと導かれ、主イエスの似姿へ変えられます。イエスの命令です、町から町へ入る時、常にこれを祈りなさい。
代理人としていくのです
逆に、「主よ、私こそ、あなたの働きにふさわしい者です。私にはあれと、これができます。どこどこへ行って、これこれの働きがしたいのです!」と意気盛んに出かけて行って、時間とエネルギーとお金を注ぎ込んで一生懸命するけど、期待したような収穫が得られずに疲れ果ててしまった、という話を時々耳にします。その場合、そういう人は、収穫の主から遣わされて行ったのではなく、自分で個人的に行ってしまったということでしょう。
遣わされる人は、権威をもって遣わす主イエスの代理人として行きます。当時のユダヤ社会においては、代理人が行くことは、本人が行くのと同じぐらい重要な意味がありました。イエスはご自分が行こうとされていた町村へ七十二人を派遣しました。弟子たちは思い思いに、自分が行きたいところへ行って、したいことをしたのではありません。主イエスが行きたいところ、したいことを、代理でしたのです。収穫の主が働いてくださるなら、大収穫です。
掘り起こす祈り
また、この「働き手を送ってください」という祈りの、「送る」という言葉には、「井戸を掘り出す」という意味もあります。「海外から、県外から、宣教師とか伝道チームを送ってください。私は忙しいですから、たくさんお手伝いを送ってください」という意味で祈ってしまう人は少なくはないでしょう。しかし、この祈りには「働き手を現地から掘り起こしてください」という意味もあります。すなわち、たとえば、青森県のむつ市で救われた人がいれば、その人が現地での働き手となるよう祈るのです。長崎県の西海市で救われた人がいれば、その人は収穫の主によって、すでに現地に派遣された人だと言えるのです。
あなたの大収穫とは
今、収穫の主に祈りましょう。この祈りはあなたを、へりくだらせ、謙遜にします。主イエスは十字架の死に至るまで、父の御心に従順で、謙遜とへりくだりを貫き通しました。そのイエスを通して、神の偉大な計画が成就しました。今、主の前で、へりくだりなさい。すべての聖徒に対して謙遜になりなさい。あなたの弱さの内に働く、神の絶大な力が現されます。神が与えてくださる大収穫、それは、何よりもまず、あなた自身がイエスのように変えられるということなのですから。
「収穫の主よ、わたしに謙遜とへりくだりを学ばせてください。あなたのように生きることができますように。」