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さがすツーリングで明日へと行きつく
【文字数:約1,300文字】
お題 : #休日のすごし方
休みの日には朝早く起きて準備を済ませ、1日かけてツーリングをすることがある。
2輪車つまりバイクに鍵を差し、その日の1番始めに点火スイッチを押す瞬間は、毎回どことなく緊張している。
それでも問題なく点火プラグからは火花が生まれ、エンジン内のガソリンが発火することで、機械の心臓には命が宿る。
人間のそれと同じように規則正しく律動し、自動車なら足で踏むアクセルを手で動かすことにより、回転数の上がったエンジンが咆哮する。
もともとは自転車でツーリングをしていたけれど、エンジンが付いても車体の価格は変わらない気がしてきて、人生の節目にと2輪の免許を取ることにした。
どちらも生身で乗っているから、常に変わり続ける音や香りの中を進んでいく。
むせかえるような海沿いの潮風は夏だけのもので、今の時期なら舞い散る桜の花弁に全身が包まれる。
日々を暮らす町から離れ、地図や画像でしか知らなかった場所を走り、それらが地続きであることを実感する。
たまに真面目な観光をすることもあるけれど、移動している時間というか体験を楽しみたくて、私はツーリングをしているのだと思う。
◇
残念ながらバイクは良いことばかりでなく、速度に比例して風圧が強く重く激しくなり、運転する者を物理法則に従って容赦なく痛めつける。
さらに夏は陽射しとエンジンに焼かれ、冬は冷気の刃が無慈悲に切りつけてくる。
自動車のような快適さもなければ、安全性など考えるのも愚かしくなる最低の乗り物。
なにより世界の潮流はガソリン式エンジンの廃止だ。
バイクだけ特別に除外されることは考えにくいから、やがては静かで環境に優しい乗り物へと置き換わっていくのだろう。
その頃には自動運転も一般化して、安全で事故のない交通社会が実現しているかもしれない。
ツーリングから全ての危険が排除され、純粋に移動を楽しむことのできる理想の環境。
けれどそれが実現したとしても、私は楽しいと思えるか分からない。
天秤の片方に自らの命、もう一方に自制心を載せてバランスを取り続けるのは正直しんどい。
悲惨な事故は後を絶たないし、そのうち私もどこかの路上で眠る可能性がある。
なにより友人を交通事故で亡くした人間が、事故が起これば命を失いかねないバイクに乗っているのは、どこか矛盾しているように思う。
友人の見られなかった景色の中を走るのが、何もできなかった私なりの弔いなのだとか、もっともらしい理由があるわけでもない。
ではなぜバイクなどという、最低の乗り物を選んだのだろうか。
分からない。
しかし1つだけ確かなのは、時折こうして考える時間で友人を思い出し、あちら側の世界を意識することができる。
安全で事故のないツーリングは、あちら側との境界線から遠ざかるような気がして、だからこそ楽しいと思えないのだろう。
それが危うい思考だと自覚しながら、走り続けていれば別の答えが見つかるかもしれない。
だれにも明日は分からないから、これからも私はツーリングに行くことだろう。
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