あたま あたま あたま~ あたま~に~きの~こが~
『日々のきのこ』 高原英理 読了レビューです。
文字数:約1,000文字 ネタバレ:一部あり
・あらすじ
これは1年365日の毎日きのこを考え続けた、とある学者の物語。
というのは冗談で、実際はきのこの菌糸が頭に回ったような人々が描かれる。
はたしてあなたは、この物語を無事に読み終えることができるだろうか?
・レビュー
本作は3つの短編が収められており、そのうちの2番目「思い思いのきのこ」に書かれた一文が、本作の奇妙さをもっともよく表現している。
湿った空気の日に知らない人が来たら、「殺そう」と思うらしい。なんじゃそりゃ。
思い留まったかに見えて、項の最後では次のように後悔している。
何かに思考を乗っ取られているらしく、本作には別の項でも似たような人物が出てくる。
他にも本作では語り手となる人物が何度も交代するため、読んでいて「これはさっきの人か?」と悩むときがあり、もしかしたらそれこそ作者の狙いなのかもしれない。
キノコは菌糸が本体であり、傘などを開いたものは子実体と呼ばれ、それは被子植物の花にあたるものだ。
花は本体ではなく一部なので、茎や枝葉、根などをまとめて1つの植物として数えるけれど、菌糸に同じような見方をするのは難しい。
本作に登場する人々は体に菌を備えた「菌人」であり、互いの体に生えたキノコを食べる「菌婚式」なるものが行われている。
それは平和な話の1つとして描かれるけれど、一方で冒頭に引用したような思考を乗っ取られているような人間もいて、いったいどちらが正しいのか悩んでしまう。
けれども菌が正しいとか違うとかを考えるのに意味はなく、ただ繁殖して増えるだけが目的なのだ。
乗り物である人間が息絶えると良くないので、人間側に利益がある場合も描かれてはいる。
ただ、腐敗と発酵の呼び方が「人間にとって益があるか否か」で変わるように、本質的には同じことであるような。
実際の人間も数多くの菌と共生しているから健康であり、何かのきっかけでそれが逆転するとアレルギー反応を起こしたりする。
本作は目には見えない彼らを想う1冊になる、かもしれない。