あなたが望むなら神は死ぬだろう
『神様のビオトープ』 凪良ゆう
読了レビューです。
文字数:約1,300文字
ネタバレ:一部あり
・あらすじ
うる波は事故により夫を亡くした。
しかし夫の鹿野は今もうる波とともに、生前の家で暮らしている。
これは奇妙で優しく、残酷だけど愛しい物語だ。
・レビュー
広辞苑によればビオトープ(biotope)は、野生の動植物が生態系を保って生息する環境、という意味らしい。
読み始める前は「人間が実験動物ってことか?」などと考えて、読後にもその印象が変わることはなかった。
ただしもっと奥にある内実は、どこか悟りと似ている静かな感情だ。
本作の主人公、うる波は結婚した2年目に夫を事故で亡くす。
だが彼は甦った。
もちろん生きた人間ではなく幽霊などと呼ばれる存在としてであり、うる波の他にはその姿を見たり、声を聞いたりすることはできない。
空想や妄想によって生み出されたかのような、「鹿野くん」と暮らし続けたところで、いつか肉体を得るような奇跡は起きない。
それでもうる波は2人分の食事を作り、鹿野くんが食べたように見える、実際には減っていない食事を後で食べる。
仏壇に先祖の分としてお菓子を供えたりするけれど、あの風習を日常的かつ頻繁に行う姿は、たぶん狂人として映るに違いなく、うる波本人もそれを自覚している。
彼女の姿に理解を示すか、もしくは気味悪がるかで本作の価値は変わってくるだろう。
これを書いている私は前者であり、たぶん好意を持っていた相手が事故で亡くなっているものだから、うる波の行動に尊敬の念すら覚えている。
本作は亡くなった夫を復活させようと奮闘する、大冒険ファンタジー活劇というわけではなく、2人と彼らに関わる人たちとの日々を描いた、暮れていく夕日を眺めるような物語ともいえる。
世間からすれば理解しがたい2人と関わる人たちもまた、なかなかに困難と思われる親愛もしくは恋をしている。
全6編のうち4編で描かれる4組について、基本的にうる波は見守るような立ち位置であり、幽霊のような鹿野くんにいたっては関わることすらできない。
4編が描かれた後のエピローグで語られるのも、まぁそうだよねと、期待を裏切ることもなければ、予想外の飛躍をするわけでもなく。
そう感じるのはたぶん、うる波が夫のことを「鹿野くん」と最初から最後まで呼び続けるのも無関係ではなくて、そういう存在として受け取れるようになったというか。
どこか距離のある呼び方には、うる波が生者の世界に居ながら亡き夫と暮らす、希望と絶望という相反する想いを感じた。
自分に当てはめて考えてみても、名前で呼ぶのは素手のままバラを掴みとるようなもので、懐かしさと引き換えに心の出血をともなうだろう。
その距離感がむしろ心地良いと感じるかは人それぞれ、もしくは本書に触れるタイミングでも異なる気がする。
ここは神さまのビオトープであり、人もまた他の動植物に含まれているに過ぎなくて、望まなければ神は死ぬ。
うる波にとって、鹿野くんの存在を信じることで生きられるなら、それを無理やりに奪うことは悪になる。
忘れがちな善意の暴力について本書は思い出させ、あるいは気づかせてくれるように思った。
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