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第123回/車浮代『蔦重の矜持(きょうじ)』
蔦重を経営視点から捉えた先駆者
今年のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公となったことで、「蔦重」こと蔦屋重三郎(1750~97)の時ならぬブームが起きていますね。
書店に行けば蔦重の関連本がズラリと並んでいますし、蔦重を主人公にした小説も、昨年来続々と刊行されています。
蔦重は江戸時代の版元(出版社)経営者で、「江戸のメディア王」とも呼ばれます。
彼は、いまの言葉で言えば「天才的な出版プロデューサー」でした。『吉原細見』(吉原のガイドブック)を皮切りに、常識を打ち破るヒット作を次々と手掛け、浮世絵と出版に革命を起こし、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、曲亭馬琴を見いだし、謎の多い東洲斎写楽も世に送り出しました。
蔦重の時代の先を読む鋭敏な感覚と、大ヒットを生み出す戦略の数々は、現代の経営者にとっても学ぶべき点が多いのです。
そして、そのように「蔦重を経営視点から捉えた」先駆者が、時代小説家で、江戸料理文化研究家、国際浮世絵学会会員でもある車浮代(くるま・うきよ)さんです。
タイムスリップして蔦重に出会う物語
蔦重は、「べらぼう」以前には一般的知名度は低く(もちろん江戸文化に詳しい人は知っていましたが)、「知る人ぞ知る」存在でした。
そんななか、浮世絵研究を入り口にして蔦重に惚れ込み、「いつか蔦重の物語を書きたい」と30年間も願い続け、ついに2014年に『蔦重の教え』(飛鳥新社/のちに双葉文庫)で小説家デビューを果たしたのが、車さんなのです。
『蔦重の教え』は、普通の時代小説ではありません。蔦重の生涯を通じて経営・商売などを学ぶ、仕事と人生に役立つ「ビジネス小説」「実用エンタメ小説」なのです。
そのような小説にするための仕掛けとして、何と「タイムスリップもの」になっています。現代の東京で広告代理店に勤める中年男性・武村竹男(通称「タケ」)が、江戸時代にタイムスリップして蔦重と出会い、さまざまな教えを乞う物語なのです。
しかも車さんは、『蔦重の教え』を書く前に、約100人もの経営者や専門家にインタビューを行い、仕事や人生で心がけていることを聞いたそうです。
そして、それらの取材から得た学びのエッセンスを、小説の中の蔦重の行動にあてはめていきました。本気で“ビジネスに役立つ小説”にするため、そこまで手間をかけた渾身作だったのです。
今回取り上げるのは同作の続編で、刊行されたばかりの最新作『蔦重の矜持』です。
正編のラストで現代に舞い戻り、渡仏してパリで日本料理店を開いた主人公・タケ――。彼が20年経って75歳の「タケ爺」となり、フランス育ちの孫を伴って、再び江戸・寛政年間にタイムスリップする物語なのです。
当連載では基本的に経営書やビジネス書を紹介していますが、時には歴史小説・ビジネス小説も取り上げます。人間の脳は、単純な「意味記憶」よりも「エピソード記憶」のほうが定着しやすく、小説で学んだほうが深く心に残る面があるためです。
車さんは『蔦重の矜持』と同時期に、もっとビジネス書寄りの『仕事の壁を突破する 蔦屋重三郎 50のメッセージ』(飛鳥新社)という著書も上梓しています。
また、それ以外にも『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人』(PHP文庫)、『Art of 蔦重――蔦屋重三郎 仕事の軌跡』(笠間書院)など、蔦重関連の著作を昨年来次々に刊行しており、蔦重ブームに乗って脚光を浴びているのです。
それらの著作も併読すればなおよいでしょうが、とりあえず『蔦重の教え』『蔦重の矜持』の2作をオススメしておきます。
SF色濃いめで、遊び心満載の続編
「タイムスリップもの」である以上、正編・続編とも広い意味ではSF小説であるわけですが、続編『蔦重の矜持』は時代設定が近未来になっており(おそらく2034年くらい)、正編よりもSF色が濃くなっています。
ネタバレになるので具体的には書けませんが、終盤のどんでん返しはSFそのものです。
また、近未来という設定を生かして、タケ爺たちが大河ドラマを機に起きた蔦重ブームを振り返る(!)次のようなセリフがあり、ニヤリとさせられます。
「現在日本に於いて、蔦重がメディア王だのプロデューサーだのと知られるようになったのは、2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』が放送されて以降のことだ」
このような「遊び心」が、ディテールに忍ばせてある小説なのです。
ほかにも、正編『蔦重の教え』を読んだ人にしかわからない微妙なくすぐりが、随所にちりばめられていたりします。それらは、正編の読者に対するサービスとも言えるでしょう。
また、「歴史を改変するようなことをしてはならない」という「タイムスリップもの」のお約束に大胆に挑戦する部分があり、そこが面白さの1つになっています。蔦重がタケ爺に、次のように言う場面があるのです。
「よしんばおめえが来たせいで、 誰かが死んだり、産まれなかったりしたところで、『歴史を変えちゃあいけねぇ』なんて決まりが、どこにあるんだ?」
「……」
「全部おめえの思い込みだろうが。そんなもんに振り回されて変わるんなら、それがそいつの運命ってもんじゃねえのか?」
そしてこの言葉が、タケ爺が積極的に関与して蔦重を長生きさせようと決意する引き金になるのでした。
蔦重は、「江戸わずらい」(脚気)によって48歳の若さで亡くなっています。
当時、「江戸わずらい」と名がつくほど脚気が流行ったのは、それまで主に玄米を食べていた江戸の庶民層にも白米食が広がり、脚気の原因となるビタミンB1不足を招いたからでした。
タケ爺はそのことを知っていたため、ビタミンB1を含むおかずを蔦重に食べさせ、脚気を回避しようと考えます。そのために選んだ手段は、当時まだ普及していなかった糠漬けを蔦重に食べさせることでした。このあたりの展開は、江戸料理文化研究家でもある車さんならではでしょう。
蔦重から“経営の肝”を学ぶ小説
『蔦重の教え』は、江戸の天才・蔦重に現代人が経営やビジネスの極意を学ぶ小説でした。この続編にも、そうしたカラーはしっかりと受け継がれています。
たとえば、次のような一節――。
経営者である蔦重が、相手にどう思われようが関係なく叱れるのは、店を守るためと、相手を育てるためだ。叱られてふてくされるものは去ればいい。恨まれて嫌がらせをされたとしても、そんな輩に居座られるよりましだ。叱られる意味を悟り、エネルギーを使って叱ってくれることを感謝できたものは伸びるし、やがて信頼を得て仲間や片腕になれるのだ。
昨今は、社員からのパワハラ告発を恐れるあまり、叱るべきときに叱れない経営者も増えています。そうした時代にあって、叱ることの大切さを改めて教えてくれる一節と言えるでしょう。
そのように、蔦重の言動を通じて読者に“経営の肝”を教えてくれる場面が、本作の随所にあるのです。
また、巻末にはそのような場面と蔦重の名言(本文からの抜粋)を集めたコーナーも用意されています。
「寛政の改革」で幕府から弾圧を受けながらも屈せず再起したり、写楽を売り出すための仕掛けを考えたり……。そのような蔦重の行動を通じて、現代の中小企業経営者も楽しみながら経営を学べる小説です。
車浮代著/双葉社/2025年1月刊
文/前原政之