第117回/鈴木仁志、濱田麻里『アルムナイ――雇用を超えたつながりが生み出す新たな価値』
退職者は「裏切り者」ではなく人的資本
最近、ビジネス系の記事で「アルムナイ」という言葉をよく目にしますね。
「アルムナイ(alumni)」は、英語(語源はラテン語)で「卒業生」「同窓生」を意味する言葉です。
欧米では、元々は大学の同窓生を指す言葉として用いられてきました。そこから転じて、企業の退職者(定年退職者を除く)を「コーポレート・アルムナイ」と呼ぶようになり、いつしか「コーポレート」が取れて、人事分野で主に退職者を指す言葉になったのです。
近年、アルムナイが注目を浴びている背景には、日本の少子高齢化を反映した慢性的な人手不足があります。
そのため、メディアで取り上げられるときにも、「アルムナイ採用」――退職者再雇用に光が当てられることが多いのです。
もう1つの背景として、日本の終身雇用制度が大きく揺らぎ、「退職者=裏切り者」というネガティブなイメージが薄れてきたことがあります。
かつての日本の雇用環境はよくも悪くも村社会的で、“一度雇用したら定年まで勤め上げるのが当然”という意識が強かったものです。
だからこそ、中途退職者は「裏切り者」と見なされ、「再雇用なんてとんでもない」と考える人も多かったのです。
しかし、ここ数年で時代は大きく変わりました。
若い世代ほど転職への忌避意識が薄く、いくつもの会社を経てキャリアアップしていくことを当然と考えています。そうした意識の持ち主が増えるほど、退職者を「裏切り者」と捉える人も減るのです。
いまや、アルムナイを「社外の貴重な人的資本」として捉える考え方が、ビジネスシーンに急速に広まっています。
そうした変化を反映して、つい先日(2024年10月)刊行された日本初のアルムナイ解説書が、今回取り上げる『アルムナイ――雇用を超えたつながりが生み出す新たな価値』です。
ビジネス書の一部にアルムナイが取り上げられることはこれまでにもありましたが、一冊丸ごとアルムナイをテーマにした一般書は本書が初なのです。時宜を得た刊行と言えるでしょう。
アルムナイ関連企業の知見を1冊に凝縮
著者2人のうち、鈴木仁志氏は、アルムナイにまつわるサービスを提供する「株式会社ハッカズーク」の創業者で、代表取締役CEO。もう1人の著者・濱田麻里氏は同社の社員(アルムナイ・リレーションシップ・パートナー ユニットリーダー)です。
2017年に創業されたハッカズークは、企業のアルムナイ活用を支援するクラウド型システム「オフィシャル・アルムナイ・ドットコム」や、アルムナイ特化型メディア「アルムナビ」などを運営しています。
アルムナイ・ブームとも言えそうな昨今ですが、そのブームに先駆けてアルムナイという概念の普及に努め、企業とアルムナイをつないできたのがハッカズークなのです。
同社が創業以来の7年間で積み重ねてきた知見が、本書にはギュッと詰め込まれています。
アルムナイの歴史・現状・展望が一通り網羅された入門書であり、アルムナイ活用に取り組みたい企業が、それをどう進めたらよいかが解説された書でもあるのです。
再雇用に限らない、アルムナイの多彩な価値
すでに述べたとおり、メディアでは「アルムナイ採用」に光が当てられることが多いため、「アルムナイ=退職者再雇用」というイメージが強いでしょう。
もちろん、再雇用はアルムナイ活用の重要な側面ではあります。しかし、それだけではないのです。
本書の副題が「雇用を超えたつながりが生み出す新たな価値」であるのは、そのことを象徴しています。本書が扱うのは再雇用だけではなく、もっと幅広い「アルムナイ・リレーションシップ」(退職者関係)の構築なのです。
たとえば、アルムナイが転職先で顧客になるケースもあれば、副業・兼業の形で元の会社から業務委託されるケースもあります。
また、ビジネス上の関係はなくても、アルムナイとの交流維持それ自体が生み出す価値もあります。アルムナイ・リレーションシップには、再雇用に限らないさまざまな形態があるのです。
著者たちは、アルムナイ=再雇用という偏ったイメージの定着を危惧しています。
《本来、アルムナイ・リレーションシップとは、前章でも触れた通り再雇用に限らず、もっと多様な関係を意味します。「アルムナイ・リレーションシップの構築=再雇用を行うため」というのはやや偏った見方であり、アルムナイ・リレーションシップ構築の本質的な意義や、そこに取り組む企業の考え方が偏った意味に捉えられる可能性があることに、危機感を感じています》
また、企業がアルムナイ・リレーションシップ構築で生み出す価値について、著者は次のように述べます。
《多くの企業が見落としている貴重な財産があります。それが、企業に大きな価値をもたらす存在であるアルムナイ(退職者)との関係です。「はじめに」でも触れましたが、退職後もアルムナイとの関係を築いて育む「アルムナイ・リレーションシップ」は、単なる元同僚との交流ではありません。退職者と退職後も良い関係が継続できれば、その関係はイノベーションの創出、顧客基盤の拡大、優秀な人材の獲得・育成など、あらゆる面で企業の競争力を強化する、計り知れない価値を持ちます。アルムナイと元企業・元同僚(上司)との経済的な年間取引額を「アルムナイ経済圏」として規模を推計すると、年間1兆1,500億円にも上るという調査結果さえあります(パーソル総研、2020年)》
退職者の活用など微塵も考えていなかった昔の日本企業は、それほど大きな価値をみすみす捨てていたわけです。アルムナイ活用に目が向けられ始めたことは、日本企業にとって喜ばしい傾向と言えるでしょう。
アルムナイはイノベーション創出にも寄与
アルムナイ・リレーションシップの向上が、《イノベーションの創出、顧客基盤の拡大、優秀な人材の獲得・育成など、あらゆる面で企業の競争力を強化する》という一節を引用しました。
その中で、《顧客基盤の拡大》とは、アルムナイが転職先で顧客になるなどの事例を指します。
また、《優秀な人材の獲得・育成》につながりやすいことについても、本書で詳しく解説されています。
《アルムナイと関係を築いている企業は、人材不足などを背景に、誰でも良いから多くのリソースを得るためにアルムナイに注目しているわけではありません。さらに言えば、アルムナイと他の社外の優秀な人材を同列に見ているわけでもありません。アルムナイは「唯一無二の貴重な存在」だと考えているのです》
なぜ、「唯一無二の貴重な存在」なのでしょう? 1つには、アルムナイは自社の経験者にしか得られない「企業特殊的能力」を身につけているからです。
企業特有のルールや慣習など、暗黙知になっていてマニュアルでは共有できない能力が、さまざまあります。自社に長く勤務したアルムナイはその能力を持っているため、一緒に仕事がしやすい。つまり、アルムナイこそ即戦力になり得る人材なのです。
アルムナイが《イノベーションの創出》に寄与しやすいとの指摘は、少しわかりにくいかもしれません。その点について、著者は次のように解説しています。
《彼ら(アルムナイ)はイノベーションを創出するパートナーにもなりえます。イノベーションというと、最先端技術や、誰も考えたことがないような革新的な発想が必要と考えるかもしれません。もちろん革新的な技術や発想から生まれるイノベーションは素晴らしいのですが、世の中にはそれだけではなく、もっと多くのイノベーションが必要であり、それは既知と既知の組み合わせから生まれます》
既知と既知の組み合わせからイノベーションを生み出すには、“自社の既知の範囲”を超えた「知の探索」が不可欠です。
社員だけではなかなか“自社の既知の範囲”が超えられないのに対し、アルムナイは外部的視点も併せ持つことから、イノベーションに不可欠な知の探索がしやすい、というのです。
《ある企業の中では当たり前に認知されていることが、社外ではそうでなかったり、逆も然りということがたくさん起こっており、企業の内と外の壁をなくした「探索」を行うことができるのが、ネットワークのハブになる人材、つまりアルムナイです》
つまり、アルムナイを人材として活用できている企業は、そうでない企業に比べ、イノベーションを創出しやすい――それこそ、アルムナイがもたらす大きな価値の1つなのです。
中小企業こそアルムナイに目を向けるべき
「退職者は裏切り者」というイメージが強かったため、日本企業の大半は一昔前までアルムナイを活用していませんでした。したがって、アルムナイ・リレーションシップ構築のノウハウを、まったく持っていない企業が大多数でしょう。だからこそ、本書には大きな価値があるのです。
本書は、全7章のうち、《第3章 関係構築のステップとポイント》と《第4章 つながりを持続させるためのポイント》を割いて、アルムナイ・リレーションシップ構築のノウハウを懇切丁寧に解説しています。
また、5~6章では、先駆的にアルムナイ・リレーションシップ構築に取り組んできた大企業の事例、アルムナイの再雇用事例、退職した企業と顧客として取引しているアルムナイの事例などが紹介されます。
ノウハウ解説と事例紹介の両面によって、読者はアルムナイ・リレーションシップ構築について深く理解できるでしょう。
本書に登場するのは大企業の事例ばかりです。とはいえ、中小企業経営者にとっても、アルムナイ活用は今後重要な課題となるでしょう。
むしろ、優秀な人材が採用しやすい大企業より、慢性的人材不足に悩む中小企業こそ、アルムナイの人材価値に目を向けるべきです。
本書は、中小企業経営者がアルムナイ・リレーションシップ構築の第一歩を踏み出すための、最良のガイドブックと言えます。
鈴木仁志、濱田麻里著/日本能率協会マネジメントセンター/2024年10月刊
文/前原政之