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横山大観と菱田春草〜空気を描きたかった彼らの飽くなき探求と深友愛
お待たせしております、先日訪れた『大観と春草展』のレポートです。
↓美術館のご紹介です。展覧会は明日までの開催となっております。
■ 季節ごとの空気感
【写真-1】
↑の写真の絵は、菱田春草の『夏の朝』と『冬の夕』だそうです。
さて、みなさん、どちらが夏でどちらが冬かお判りになりますか?
正解は、左ー『夏の朝』、右ー『冬の夕』みたいです。
私、木の葉がない左が冬だと思ってしまいました。
『眼に映るモノではなく心で感じる。』どこかの決まり文句みたいですが、その大切さを教えてもったような気がします。
異なる季節の空気感も見事に表現されてますね。いやはや驚き。
■草木と動物を愛した春草
見辛いですけど、夏ーカラス、冬ー白鷺(シラサギ)が描かれてます。【写真-1】春草は、木々と猫や鳥を対でよく描いています。
猫シリーズ。『梅下白猫』 【写真-2】
■ 朦朧体(もうろうたい)という描写技法
空気って何色なんだろう⁇
空気ってどんな形なんだろう⁇
どうしたら描けるのだろう⁇
横山大観と菱田春草は、東京美術学校で出会って以来、親友となり日本画家として邁進します。校長である岡倉天心に「空気を描く方法はないか」と問われ、線描を大胆に抑えた革新的な表現を発表しました。何を描いているかわからないという意味で『朦朧体(もうろうたい)』と揶揄されたそうですが、天心の導きにより海外で作品を発表し高い評価を得たそうです。
館内展示の解説より抜粋
■ 二人の富士
横山大観 『霊峰富士』 【写真-3】
菱田春草『月下富岳』 【写真-4】
同じ朦朧描写でも顔料の濃淡で、違う表情をを見せてくれてますね。
展示には、彼らを取り巻く人々の相関図も用意されていました。
横山大観は、不仲な人が多かったみたいです。それでいて菱田春草は正反対、温厚な性格であったと思われます。しかし、朦朧体と揶揄され、それに立ち向かうには春草一人では太刀打ちできなかったのではないでしょうか。大観の存在は心強かったと思います。
大観は春早を盟友と言っています。二人で一つのものを探求しお互いの存在を認め切磋琢磨してきたことが伺えます。力強いタッチと繊細なタッチ。異なる濃淡。それぞれの描き方を尊重し相手の素晴らしさを認めていたのでしょうね。
残念ながら36歳という若さで、春早は亡くなってしまいます。肝炎でした。春草33歳で眼の病気を患ったときには、大観は名医を探し周り、最期まで寄り添ったそうです。どこへ行くにも二人は一緒だったそうです。なんだか泣けちゃいますね。太宰府の『走れメロス』を思い出してしまいました。
大観はこう言っています。「春草が生きていたら、俺なんかよりずっと巧い(うまい)」と。彼の卓越した技術に惚れ込んでいたのでしょうね。
私個人の意見なのですが、春草は近距離の空気をも描ける人だと感じました。西洋絵画の遠近法を用いた作品はたくさんありますが、何キロも先の風景が描かれているように思います。私が知識不足なだけなのかも知れませんが・・・。どうなんでしょうか。
横山大観(左)竹内栖鳳(中)川合玉堂(右) 『雪月花』 【写真-5】
その後、大観は、岡倉天心死去の際に日本美術院の復活を決意します。犬猿の中であった、兄弟弟子と手を取り合い夢を実現させます。
大観が描いた雪、どことなく春草に似てますよね。
大観の手に春草が宿り二人で描き上げたのかな・・・。
そんな事を感じた展覧会でした。
明日までの開催となっております。
宜しければ足を運んでみて下さいね。
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