休職日記-4ヶ月と3週間目
まずは雑談...
はやくも....
この休職日記を書き始めてから、
3週間目に入った!
私は自分が書いた日記を、読み返すのが
おもしろくて好きだから。
新しく記事を立て
次週の日記を「さあ、新しいのを書くぞ」
となる瞬間が好きだ。
未来の自分に対して、自分のためだけの
コンテンツを残していることへ喜びがある。
その意味で、たのしみにしていた3週間目。
たのしみだな。
11/19(火)
夜中、2:51。
眠れない。
といいつつも、土日から動いたおかげで
いまの自分が大切にしたいことがわかった。
書くと一気に軽い印象になるが
それは「ワクワク感」である。
「ワクワクしたい!」
書くと、ものすごくふつうのことだけれど
いまの私にとっては大切で、
抱きとめていたいような気づきだ。
ありがたいことに私は
・自分がどんなことに魂が震えるのか。
・何をするときに魂がのっかるのか?
人として生きる上で大切な感覚を
過去の経験から分かっていて、
その感覚を身体が覚えている。
その上「社会に対して残したい」という意味で
「やってみたいこと」も、自分で分かっている。
同じような志をもっている仲間もいるし、
そういう会社がいくらかあることも知っている。
26歳にしては、ものすごく贅沢なほど
「どうしたら自分が幸せに、持続可能に
誰かの役に立って生きれるか?
なにに、いのちを活かしたいのか?」
方向性が、しっかり見えている方だと思う。
これは、向き合い続けてくれた過去の自分と
素晴らしい出会いたちのおかげ。ありがたい。
でも「分かっている」ことと、
実際に「つい、やってしまうこと」「衝動的にやってしまうこと」は違うのである。
結局、私は「衝動的にやっちゃうこと」を大切にしたい。そういう瞬間ってめちゃくちゃ幸せだと思うから。
論理的に考えて逆算する「力」は必要だけれど、
「いま、なにをしたいか?」と問うたとき。
「したい」の決定打になるのは、
逆算的にみつけた要素ではなく
「ワクワクするか、好奇心がくすぐられるか?
ついからだが動きたくなってしまうか?」
でしかないのだ。
安心する。
以前の私と変わっていなくて、安心する。
「あ、私まだまだ、ワクワクしたいんだ。」
とても久しぶりに気ががつくことができた。
何が向いているか、やりたいか、できそうか。
全部分かっているのだけれど、
分かることではなくて、分からないことをやりたいのである。まだまだ挑戦したいし、できるのである。
ちょうど1週間前。
4年間かけてみつけた「やりたいこと」が言葉になったとき、ウキウキすると同時に、逆に「喪失感」というかエネルギーがなくなる感じがあった。
とてもびっくりした。
だからこそ、具体的なこととしては、
「ワクワクすることを選びたい」
と分かってかなり安心した。うれしい。
「ワクワクしようぜ!」
そう自分に声を掛け始めたら
やりたいことが自然とムクムクと湧いてきた。
それを実現できそうな設計図を描けた。
明日、あれとそれをやらなきゃ!と思う自分になってきた。それにも安心する。
慣れ親しんだリズムだ。私らしい。安心。
うれしい。明日、会えた人に話そう。
ワクワクしたい。
一日、いろいろやってみて、
いろいろ考えたけれど分かった。
「もう、わからない!」
考えても分からないところまで、きてしまったんだ。
でも、26歳はまったくもって「完成形」じゃなくてよいんじゃないかなと感じる。
今は「これからかたちになるための準備期間」。
かたちになってなくてもよい、
という感覚を信じてあげたいなと思う。
11/20(水)
夜の自分が考えていることは、
銭湯にいるときやシャワーを浴びるとき
トイレにいる時など。
いわゆるアイディアが出てきやすいときと、同じ環境なのだろうか??それとも、夜に考えていることは変なのだろうか?気になる。
朝、寝坊するだろうなと思って寝坊する。
わたしは本当に悩んで葛藤したときは
本でも旅でもなくて、
「友だちと話したくなる」んだな、と久々に気がついた。
コピーライターになりたい!と思った4年前から
「考えること」や「決断までに時間を要すること」あったけれど、「迷う」という空白期間がなかったから、ひさびさに「よく分からなくて不安で、とにかく友だちと話してエネルギーが欲しい時期」に入った。
奈良にいく。
休職4ヶ月目に入ったからだろあか。
Instagramのストーリーに旅先の風景をあげることに対して若干の罪悪感がでてきた。
ストーリーは発信せず本当にひとりで楽しもうと思った。
まず新幹線で京都におりたった瞬間に、とても心地よくなった。
1人旅と考えると
インドに行ったのが3ヶ月前。
盛岡に行ったのが半年前。
数字的な習慣には縛られたくないけれど
ときより「ひとり旅」すると本当に空気の循環がよくなる。
来週からは
「文章で生きるゼミ」の後半戦がはじまる。
改めて「私って文章で生きていきたいんだっけ?」など、頭の中で考えるしつい向き合ってしまう。
自分がどう感じるようになるのか?は、
まだ分からないけれど
「2回目なのにやりたい!」と決めたのだったら
「それでご飯を食べていくか?は分からないけれど、生きる上で文章を書くことは喜べるようになりたいし、たのしめるようになりたい。」
と思った。
自分が書いた文章を読み
うれしいと感じたり、美しいと感じたいと思えるようになった。
11/21(木)
本当に恥ずかしいことだが
休職中である会社へ連絡を返さなかったため、追い連絡をもらった。本当に恥ずかしい。
「選挙に行かないこと」と同じくらい恥ずかしいと思ってくれ、自分よ。
苦手なこととしても、
「うぅ苦手だけど、泣きながらやる」という気持ちで、泣いていいからやろう。
誰かを頼ってもいいけれど、
たぶん、わたしが苦手で後回しにしがちな
事務作業やら人間味を感じない連絡だとしても。自分でできた方がきっと楽だ。
夜、入ったカフェで女将さんに
「さすがにそれは甘い!」と言われる。
わたしも自分で「甘いよな...」と自覚していることだったから、旅先という状況も含めて自分に響いた。
とりあえず、考えていないで
「生きるために、やってみる・続ける」
しかないのである。
夜、あかしゆかさんの文章を読む。
どうしても編集の仕事がしたいと思った。
無理する訳ではなく、やりたいことについては
泣きながらやろうと思った。誰かからどう思われるか?ではなく、自分のためにやってほしいと思った。
どうしようもなくやってみたいことについては、やってみるしかないのである。
つよく、よわくありたい。
あかしさんのnoteにあったほぼ日の
「やさしく、つよく、おもしろく」
も本当に素敵だと思ったけれど
やさしさとつよさを
弱さとつよさを
いまの私は両立したいのだ。
たくさん泣きながら
嫌なこと不安なこと、怖いことは、たくさん泣きながら毎日がんばって生きたい。
泣きながら、がんばりたい。
泣きながら、誰より自分は自分になりたいのだ。
そんなことを書いていたら、また眠れなくなった。2:47。早く寝ましょう、私。
11/22(金)
寝る前、ベットの中。
寝ようと思って
目を瞑ったら、目の裏に
立体的に鹿ちゃんたちがやってきた。
1匹ではない。
2-3匹が交差するように歩いたり
なんというかアートの世界でたまにある
大きさがちがうものが、いろんな角度から少しずつ動くみたいな。(全然伝わらん)
現実だけではない、ふしぎな光景がまなこに広がる。しばらくしたら、木々に色をつけた山がぶわぁと広がる。ひろい。
寝る前に広がる景色が、
鹿と、紅葉した山であるのは
奈良から帰ってきた今日だけだと思うので
すごく尊いなと思って書きのこすことにした。
奈良は景色が広かった。
鹿があちらこちらにいて、
自然と動物と人が共生している空間を感じた。
今回はスマホより、フィルムカメラでの写真を多く撮ったから、現像することが楽しみである。
11/23(土)
岡山の移住イベントへ参加する。
あかしゆかさんのストーリーで見て
中川正子さんも登壇してることを知り、行くのを決めたもの。
集まる人たちも、心地よくって
あったくて穏やかで。居心地がよい。
まちが集める空気というのは、あるんだな。
あかしゆかさんにも、中川正子さんにも
お仕事や生き方の泣き言をいったり、相談をさせていただく。
たおやかな、あかしさん。
透明で美しい中川さん。
おふたりから、あたたたかで凛としたパワーをよらった。うれしい。とても嬉しい日。
第三者に、やりたいことを言ったり
まずはたくさん口にして話したから、
自分の体が前に進んだ。幸せだ。いい日だった。
11/24(日)
昼間、花ちゃんと会う。@大宮。
花ちゃんとは、今後引き続き縁が続くと思った。
大切で、幸せで、あったかい時間だった。
人は本当に幸せだとそれしか覚えていないし
それしか言えない。
花ちゃんや、花ちゃんの大切な人が
みんな幸せでありますように、と願った。
夕方、わたしが以前から
ほんとはちゃんとゆっくり話して見たかったけど、話してなかった人を誘ってお茶する。
自分が都内で唯一、自信をもっておすすめと紹介ができる東中野に集合。
東中野は、やっぱり私にとってちょうど良い。
ちょうど良いのは、うれしいことだ。
お茶して、ミスド食べて3時間半お話しした。
人と初めてゆっくり話すのは、たのしい。
緊張するかなと思ったけれど、緊張しないからうれしい。さすがです!
長々付き合わせてしまった....とは思うので
あとで感謝はちゃんと伝えよう。
なんか、いま気づいたけど、
この日記はなんとなく「届けたい人」の顔が
何人か見えているから書いていて楽しい気がする。
うまくなくても、もし多少の誤字脱字があっても、誰かが読んでくれて1人でも「おもしろいな。読んでよかったな」と思ってくれたらいい。
誰かというのは、未来の自分も含めて。
もし仕事となると
「おもしろいな、お金や対価を払ってまでも読んでよかったな」のレベルまでもっていかなきゃだとは思うけど。
ここは自由に言葉や文章と遊び
自分の感覚や感性に、うそをつかないための場所にしたい。読んだときの美しさというよりは、まず書きたいという衝動や、書いたとき、言葉にしたときの感覚に嘘をつかない場所にしたいのだ。
うだうだ書いたが、一言で言うと
私は高井さんの日記を読んでいて楽しいからこそ、自分も続けてられていてうれしいのだ!
あはは。あとでお礼をいおう!
11/25(月)
ある事実を知り、
「けっ、むかつくな」と思ったことに対して
目の前にいた知人がすっごい柔らかい笑顔で
「腹立ちますよね」と言ってた。
くふふ、という気持ち。
愛があると分かる前提で吐く
ちいさな毒牙のある言葉は、
もはやなんだかかわいい。
一瞬、生理的に「けっ」と思ってしまう
感覚を共有できてうれしかった。