たとえ記憶からこぼれ落ちたとしても~サバティカル休暇日記⑥
サバティカル休暇中にやろう!と決めていたことの一つに、「人生の後半に職業人としてのピークを持っていける仕事を探す」がありました。
とはいえ、何からどう手をつけたらそれが見つかるか見当もつきません……!
悩んだ挙句に「未来がわからないなら、まずは過去に立ち返ろう。」と思い立ち、以下について棚卸しすることにしました。
・今まで、自分がどんな人生を歩んできたか
・好きだったこと、嫌いだったこと
・得意だったこと、苦手だったことは何か
・何に時間やお金やパワーを使ってきたか
棚卸しをすると「サバティカル休暇に入ってから、私、毎日何かしら本を読んでるな。社会人になってあまり読めてないけど、昔から読書は好きだったな。」という気づいたんです。
「せっかくだから人生の棚卸しついでに、昔好きだった本を読んでみよう。」と思い立ち、特に子どものころに夢中になった本を中心に何十年かぶりに読み始めました。
想い出の一冊「モモ」
そのうちの1冊が、ミヒャエル・エンデ作の「モモ」でした。
前回読んだのは、確か小4の時。
時間どろぼうから時間を取り戻す話だったのは覚えているけど、詳細は忘れちゃったな。そういえば、当時のわたしは「モモみたいになりたい」って思ってたんだっけ。
ページをめくるたびに、昔の記憶が少しづつ呼び戻されます。
そして、読み進める中で、ある一節に目が止まりました。
小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。
モモの才能についての描写は続きます。
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな黒い目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。
……ここまで読んで、手が止まりました。
未来へのつながり
ちょっと待って。
今日この本をあらためて読むまですっかり記憶になかったけど、当時の「モモみたいになりたい」って思いが、未来の仕事選びに影響を与えてた……?
なぜそう思ったか。それは、わたしがこの本を読んだ15年後くらいに、人材業界で転職のキャリアアドバイザーの仕事に就いていたからです。
モモの特別な才能のこと。
この本を読んで「モモみたいになりたい」と思ったこと。
今日モモを読むまで、記憶から抹消されていましたが、
「わたしが相手の話を聞くことで、解決策が浮かんできたり、幸せな気持ちになれたりする。そんな存在になりたい。」
その想いがわたしの身体の細胞レベルに浸透して、その後の仕事選びに影響を与えていたのかもしれません。
たとえ記憶からこぼれたとしても
今日食べたカレーも、昨日食べた焼き魚も、体内で消化されてしまったら後に残るものはありません。
食べることは日常のことなので、余程でない限りいちいち記憶にも残りません。だって、1か月前の夕食のメニューが何だったかなんて覚えていでしょ。
それでも、吸収したものは栄養になって、わたしの身体をつくるんだ。
知識や経験も同様に、たとえ記憶からはこぼれたとしても、消滅するわけじゃなく、わたしを形つくる一部になるんですね。
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みなさんには、子どものころに好きだったけれど、長年読み返してない本はありますか?
大人になってから読んでみると、思いがけない発見があるかもしれませんよ。
(ちなみに、モモは「時間」や「仕事」「自分の人生を生きてるか」といった切り口でも考えさせさせられるエピソードが満載で、大人が読むのにもおすすめの本です!)