【part5】 ハロー、ミスターグリーンフィンガー。
ツレの植物に対しての接し方から、メンバーマネジメントについて考えた話。
ナスとオクラと私
一昨年の5月のこと。ツレが野菜の種を買ってきた。
ツレのワンルームには、半畳くらいのベランダがある。南向きで日当たりもまあまあ良い。もともとそのベランダには観葉植物やら花やら植えていたけれど、とうとうツレは家庭菜園に手を出した。
私は実家でよく夏野菜を育てていたから(part3参照)、家庭菜園程度であれば一般的な知識はある。ただ、そのときは専ら苗木を購入していたので、いきなり「種から育てる」というのは少し、難易度が高い気がした。ツレは何というか、変なところでチャレンジ精神を発揮する。
種を購入したその日のうちにプラスチックの長方形プランターに砂利と土を入れて、ツレはナスとオクラの種をそれぞれ蒔いていた。
5月12日
数日後、ツレから早速「オクラが芽を出した」と写メが送られてきた。
面白いもので、オクラは何とも生命力が強い。その後もぐんぐんと芽を伸ばし、2週間が過ぎるころ、あっという間に20cmほどの高さになった。
でも、オクラが芽を見張るような成長を遂げる一方で、ナスは芽を出す気配が全くない。うんともすんとも言わない。
仕方がないので、ツレはナスの種のために、新たに小さな鉢を用意した。そうしてしばらく、室内で大事に大事に様子を見る。
6月1日
オクラがベランダの手すりと同じくらいの高さになるころ、ようやくその小さな鉢植えのナスが5ミリほど発芽した。何とも細くて小さくて、今にも吹き飛びそうな双葉だった。
その成長の遅さと線の細さが、何となく自分と重なった。
「ナスってなんか、弱っちいね。」
と私が言うと、
「だからオクラとは違うアプローチが必要なんだよ。」
とツレはさも当たり前のように言う。
この小さい双葉から、あのしっかりした茎と葉のある苗になるところは、私には少し想像ができなかった。
6月16日
その次にツレの家に行ったときには、オクラの花が二、三咲いていた。ナスもナスで頑張っているようで、鉢の中で10cmほどの苗に育っていた。
8月7日
小さい鉢に移してから2ヶ月ほど経って、ようやくナスは、ホームセンターでよく見かけるあの苗の形を成していた。季節はすでに夏真っ盛り。もし最初から苗を植えていれば、今頃は実をゴロゴロ収穫しているころである。
「ナス、時間かかるねえ。」
「そうねえ。でもまあ、ナスにはナスのペースってもんがあるからね。」
ツレはまた、なんてことないように言ってのける。
とはいえここまでナスが伸びてくれると、素直に嬉しいものである。
頑張れ頑張れ、そのまままっすぐ伸びるのだ。
プランターに移った後のナスは、そこから怒涛の追い上げをしたかのように見えた。太陽に向かって葉を広げ、徐々に徐々に大きくなっていった。
よしよし、いいぞいいぞ、その調子だ、と私はほっこりした気持ちになっていた。
しかし物事とは中々期待通りにいかないものである。
突然、本当に何の前触れもなく、ナスは枯れた。
繊細で、強い
ナスは乾燥に弱い。だから水切れを起こすとすぐに萎れてしまう。でもツレは忙しい仕事の中でも朝と晩、必ず水をあげていた。オクラの成長度合いから見て、土の状態が悪いとも考えにくい。
ツレが手塩にかけたと思われたナスの苗は、その茎を残して全ての葉っぱが茶色く濁った色をしていた。
「天気が良すぎたねえ。このベランダ、日中はずっと日が刺してるから、土も乾きやすかったかもね。」
とツレは言う。確かにこの8月は日照り続きではあったけど。
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私は少しショックだった。いや、だいぶショックだった。こんなに手をかけてもらっておいて、枯れるだなんて。なんてわがままで図々しくて、弱っちい植物なんだろう。
「本当、そっくりね。」
ポツリ呟いた私の言葉は、ツレには多分聞こえていなかったと思う。
「ほら、オクラは暑さに強いからさ、また実がなってるよ。」
ツレは慰めるかのように、私に獲りたてのオクラを持たせてくれた。このタイミングで収穫期を迎えているオクラが、今は少し恨めしい。
そこからしばらく私も忙しくて、中々ツレの部屋には行けていなかった。そしてナスの収穫は、今年はもうできないものだと諦めていた。
9月2日
久しぶりにツレの家にきたとき、私は目を疑った。
驚いたことに、そこには見事復活を遂げたナスの苗があるではないか!
それも、茎も以前より太くなり、葉も前回の倍以上の大きさになっている。極めつけに、小さい紫色の花まで咲いているのだ。
「え!どうしたの?どうやったの?」
私は非常に興奮した。だって、私も諦めていたのに。
「ちょっと肥料と水の回数をね。」
ツレは目を細めてニヤりと笑った。
どうやら茎だけを残して全ての葉を取り除き、気温の高い日中は室内に移動したり、肥料と水の回数を増やしてみたりしたらしい。青々した葉が眩しい。
「ナスは、繊細だけど、強いんだよ。」
ツレはプランターに水をやりながら、背中を向けたままひっそりとそう言った。
このナスの復活とツレの言葉は、私を十二分に勇気づけてくれた。
難しいことをさらりと
このときのツレを私は「グリーンフィンガー」と呼んだ。グリーンフィンガーは、「園芸の才能がある人」のこと。イギリスでは優秀なガーデナーのことを指してそのように呼ばれる。ピーターラビットの著者であるビアトリクス・ポターの著書に出てくる言葉だ。
私は尊敬と感謝の念を込めて、ツレをそう呼んだ。
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ツレはきっと、普段の生活や会社でのメンバーとのコミニュケーションでも、同じなのだろうと思う。
人の個性を把握し、その個性にあったコミニュケーションを取り、必要であればその人に合ったフィールドを用意する。多様性が求められる時代のマネジメントとしては、必要不可欠なスキル。
そして最後に、どんなに弱っちい存在に対しても、その可能性を信じ続けてくれる。
「あなたさては、人に対してもグリーンフィンガーね?」
「さあ、どうだろうね。」
ツレはまた目を細めてニヤりと笑った。
頭では理解できても、それが実現できることの難しさを、私は痛いほど知っている。
ナスとツレの関わりから、勝手に救われたと感じる初秋の昼。
植物だけと関わっていたい
後日、私が自分の「ええかっこしい」な性格に首を絞められて疲れていた時の話。
私は社内の人と分け隔てなく付き合う分、仕事以外でも色んな関わり方をして、その分自分の中に色んな考え方や言葉が入った結果、情報整理しきれずにゲロを吐きそうになるときがある。
そんな私を見てツレは言った。
「俺は会社のメンバーとはさ、ランチも愚か、プライベートの付き合いは一切しないって決めてる。だって仲良くなりすぎると、勝手に仲間意識持たれて、こっちはそんなこと思ってないのに勝手に、裏切られただなんだって話になるから。それに周りの人も『あの人はあの人の派閥だ』とか、くだらないこと考えるし。」
「あー、すごい分かる。目下それで苦しいよ私は。」
何でその個人とコミュニティとを分けて考えてくれないんだよ、と普段思っていることの回答を、こうもはっきり言われると、いささか清々しいものである。
ツレの場合は、昔から人に合わせて対応できすぎるが故の、彼なりの処世術だったのかもしれない。
「だからさ、究極言うとさ、俺は植物だけと関わっていたいわけ。何も言わない、何も求めない、こっちが手をかけた分だけ成長してくれるから、だから植物はすごい好きなの。」
ああなんて、気持ちいくらいのエゴイズム。
そっか。それで良かったのか。
ありがとうミスターグリーンフィンガー。ちょっとだけ、私は楽になれそうだよ。
結局そのナスは10月に入ってやっと収穫できた。図らずしも秋ナスだ。
包丁を入れた瞬間、皮が固いし種が多いし「食べにくそう」と思った。でもそんなところまで含めて、この10cm程度の黒紫の物体は、私にはこの上なく愛おしい。